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内田樹 / ちくまプリマー新書 (160件のレビュー)
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総合評価:
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にこ
このレビューはネタバレを含みます
⚫︎感想 どんな人でもどんな物も自分の「先生」になり得る。 「考える」ことの面白さや自由さを教えてくれる一冊である。高1くらいからおすすめしたい。 本書を読み、「師から学ぶ」ことは、芸術鑑賞に似ていると思い至る。 師を前にするとき、「ここがすごいのでは?」と自分なりの考えを持つが、それが正解かどうかわからないし、むしろ正解かどうかは別に分からなくて良いのでは?と考えたり、自分なりに答えはこうなのか?と考える。それが本書では「誤解」や「誤読」と表現されている。 その考える過程で、自分自身の知らなかった自分を発見し、唯一無二性を得ていく(それが諦めや達観の場合も含めて)。これが「学び」である以上、どのような師であっても「先生はえらい」のである。 以下本文より ・コミュニケーションとは「分かり合いたい」と「分かり合ったら終わるから、出来る限り分かり合うのを先延ばししたい」という矛盾で成り立っている。 ・「学ぶ者」は「師は私の知らない何かを知っている」と「誤解」し、「誤読」し、学び得る。 ⚫︎あらすじ(本概要より転載) 「先生はえらい」のです。 たとえ何ひとつおしえてくれなくても。 「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。だれもが幸福になれる、常識やぶりの教育論。 著者からひとこと この本は「ちくまプリマー新書」という中高生対象の新しい新書シリーズの一冊として書かれたものです。 「いまどきの中高生に何か言いたいことがありますか?」と筑摩の編集者に尋ねられたときに、「『先生はえらい』かな・・」とぽつりと答えたのが、この本のきっかけになりました。 タイトルからおわかりいただけるようにこれは師弟論です。 教育論というのは世に多くありますが、師弟論というのは、最近少ないですね。 というのも、「先生はえらくない」ということがいまの日本ではほとんど常識になっているからです。 「教育基本法を改正せよ」「教育勅語を復活せよ」などと言われるみなさんはもちろん、「教師だって生身の人間だい」「教師は労働者である」という方向に力点を置かれるみなさんも、とりあえず「先生はそんなにえらいもんじゃないです、別に」ということについては衆議一決されています。 先生方のお気持ちも、あるいは先生方を罵倒される方々も、それなりに切ない事情があって語り出されているわけですから、お気持ちもわからないではありませんが、そういうことだけで果たしてよろしいのであろうか、という警世の一石を投じるのが本書の趣旨であります。 私の「先生はえらい」論は、「えらい先生とはこれこれこういうものである」というような認知的なものではありません(そんなことを言っても何も始まりません)。 あるいは「いいから黙って先生の言うことを聞きなさい」というような政治的なものでもありません(そんなことを言っても誰も聞いちゃくれません)。 そうではなくて、「先生」というのは定義上「えらい」ものである。あなたが「えらい」と思う人、それが「先生」であるという必勝不敗の同語反復を断固主張するところの書物なのであります。 私が行ったのはいわば「えらい」の構造分析です。 「他者を『えらい』と思うのは、どういう心的状況、いかなる権力的付置のことか」 という分析を試みたのです。 これなら私も理論的に熟知しています。 というのは、私がこの数年集中的に読んできたレヴィナス老師とラカン老師はどちらも「えらい」の専門家だからです。 この方たちは「えらい」というのはどういうことで、それがどのような教育的・分析的効果をもつのかということを、ほとんどそのこと「だけ」を考究され、書き残されているのでした(ということに気づかれているかたはあまりいないようですが、そうなんですよ、これが)。 私も最近まで気づきませんでしたから、偉そうなことは言えませんが。 ともあれ、レヴィナス、ラカン両老師のご高説をすべて「えらいの構造分析」という視点から読み直し、ついに「『先生はえらい』だって、『えらい人』のことを『先生』ていうんだもん」という必殺の同語反復に到達したというのがことの真相であります。 「えらい」の構造分析を通じて、師弟関係の力学的構造が解明されれば、まあ、あとは原理的には「赤子の手をひねる」ようなものです。ビジネスでいうところの「レバレッジ」(梃子)というやつですね。 「われにレバレッジを与えよ、さらば宇宙を動かしてごらんにいれよう」とまではゆきませんが、「えらい」のレバレッジ・モデルの解明を通じて、やがて日本の教育はあらたなフェーズに入ってゆくものと確信しつつ、新刊案内のご挨拶に代えさせて頂きます。 内田 樹 【目次】 先生は既製品ではありません 恋愛と学び 教習所とF‐1ドライバー 学びの主体性 なんでも根源的に考える オチのない話 他我 前未来形で語られる過去 うなぎ 原因と結果 沈黙交易 交換とサッカー 大航海時代とアマゾン・ドットコム 話は最初に戻って あべこべことば 誤解の幅 誤解のコミュニケーション 聴き手のいないことば 口ごもる文章 誤読する自由 あなたは何を言いたいのですか? 謎の先生 誤解者としてのアイデンティティ 沓を落とす人 先生はえらい
投稿日:2024.05.03
りん
中高生向けということでしたが、私にはちょうど良く腑に落ちました。 まさしく「先生運が悪い!」と思っており、自分が尊敬する先生(人)は、誰もが尊敬できる先生なんだと思っていました。こんなに様々な人がい…て、感じ方が同じわけないのに。 分かりやすく伝えて相手に理解してもらうこと、それも大事なことだけど、(少なくとも自分は理解したことを)何度も言われると退屈だし、その時点でシャットアウトして終わってしまう。誤解の余地が残っている方がコミュニケーションが続くって面白い。 何でも謎があった方が惹かれるもんね。続きを読む
投稿日:2024.03.08
岸谷
中高生向けに書かれた本という体裁ですが、内容はかなり難解に思えました… えらい!という先生に出会うのは偶然なんかではなく必然で、受け手の感覚次第ということなんでしょうか…? こんな考察も、最後の章を読むと学びに内包されていて勝手に私が誤解してるだけなのかしら…? 色々と考えるきっかけになる本でした。
投稿日:2024.01.03
あかつき
「学び」は「教わる」ものだと、つい考えがちであるけれども、学ぶ者に視点を置いてみると、結局は「教わったつもり」になったものなのだ。学ぶ側には、解釈の自由がある。だからこそ「学び」が成立するのだ。
投稿日:2023.09.26
やす
くだけた感じで語っていますが、語っている内容はけっこう難しいことをいっています。 分類的には教育論なんでしょうが、完全に思想、哲学です。
投稿日:2023.09.16
司書KODOMOブックリスト(注:「司書になるため勉強中」のアカウントです)
「「先生はえらい」のです。たとえ何ひとつ教えてくれなくても。「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。だれもが幸福になれる、常識やぶりの教育論。」 目次 先生は既製品ではありません 恋愛と学び… 教習所とF‐1ドライバー 学びの主体性 なんでも根源的に考える オチのない話 他我 前未来形で語られる過去 うなぎ 原因と結果 沈黙交易 交換とサッカー 大航海時代とアマゾン・ドットコム 話は最初に戻って あべこべことば 誤解の幅 誤解のコミュニケーション 聴き手のいないことば 口ごもる文章 誤読する自由 あなたは何を言いたいのですか? 謎の先生 誤解者としてのアイデンティティ 沓を落とす人 先生はえらい 著者等紹介 内田樹[ウチダタツル] 1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学大学院博士課程(仏文専攻)中退。神戸女学院大学文学部総合文化学科教授。専門は、フランス現代思想、映画論、武道論続きを読む
投稿日:2023.04.13
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