グリフィスの傷
千早茜(著)
/集英社文芸単行本
作品情報
からだは傷みを忘れない――たとえ肌がなめらかさを取り戻そうとも。
「傷」をめぐる10の物語を通して「癒える」とは何かを問いかける、切々とした疼きとふくよかな余韻に満ちた短編小説集。
「みんな、皮膚の下に流れている赤を忘れて暮らしている」。ある日を境に、「私」は高校のクラスメイト全員から「存在しない者」とされてしまい――「竜舌蘭」
「傷が、いつの日かよみがえってあなたを壊してしまわないよう、わたしはずっと祈り続けます」。公園で「わたし」が「あなた」を見守る理由は――「グリフィスの傷」
「瞬きを、する。このまぶたに傷をつけてくれたひとのことをおもう」。「あたし」は「さやちゃん先生」をめがけて、渋谷の街を駆け抜ける――「まぶたの光」
・・・・・・ほか、からだに刻まれた傷を精緻にとらえた短編10作を収録。
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商品情報
- シリーズ
- グリフィスの傷
- 著者
- 千早茜
- 出版社
- 集英社
- 掲載誌・レーベル
- 集英社文芸単行本
- 書籍発売日
- 2024.04.26
- Reader Store発売日
- 2024.04.26
- ファイルサイズ
- 1MB
- ページ数
- 200ページ
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この作品のレビュー
平均 4.2 (6件のレビュー)
-
あなたには『傷』があるでしょうか?
人の身体は軟いものです。ほんの些細なことで私たちの身体は『傷』つきます。駆けっこで転んで膝を擦りむいて血を流した、そんな経験は誰にでもあることだと思います。そして…、人によってはもっと大きな怪我をした経験もあると思います。無傷のまま一生を終えました…そんな人生はそう簡単に送れるものでもないと思います。
しかし、人の身体は軟いとはいえ、私たちには『傷』を修復する力が備わってもいます。そして、多くの『傷』は跡形も残さずに消え去っていきます。とは言え、そう簡単には消えることなく一生残り続けるものもあります。当然そういった大きな『傷』はその『傷』を負った時に強い痛みに苛まれもしたのだと思います。『傷』を見ればそんな当時の記憶が蘇る、『傷』と共に生きていくということはその記憶と共に生きていくということかもしれません。
さてここに、『傷』に光を当てた10の短編から構成された物語があります。痛々しい記述にひぇーっと思うこの作品。こんな病名の『傷』があるんだと新たな発見を見るこの作品。そしてそれは、身体に刻まれた『傷』にさまざまな人生を見る物語です。
『申し訳ございません』と、『高くも低くもない声で言う』のは、主人公の『私』。『並んで立つ後輩の森ちゃんも私になら』いますが、『案の定、お客さんは「謝ればいいって思ってんだろ」と唾を吐くように言』うと、『顎を突きだし、受付カウンターに肘をのせて』きます。『なってないよ、まったく。謝罪ひとつとってもそうだよ。なってない…どうせ、あんたら派遣だかアルバイトだかなんだろ。責任ない奴らばっかりだから駄目になるんだよ』と続ける男の『白髪まじりの髪はべったりとして濁った光沢を放ってい』ます。『婦人服売場の店員の態度が悪かったという苦情が、私たちへの非難へ変わっている』という場で、『お客さまのご意見は必ず上の者にお伝えしますので』と『森ちゃんが横から言』うも、『ので?』、『のでって、なんだ。だからさっさと帰れっていうのか…』と喚く男。そんな中、『左のふとももにある昔の傷』を思い出す『私』は、『自分の鬱憤をはらすために他人に頭を下げさせるってどんな気分だろう』と、その『きずあとは私を冷静にさせ』ます。『あなたの悪態はこの肌にはとどかない。私にこんな傷をつけることはできない』と思う『私』。『引き際を失った男性は警備員がやってくるまで怒鳴り続け、私たちはずっと「申し訳ございません」をくり返し、頭を下げた』という時間を経て、やがて男性はいなくなりました。そんな『私』は、『高校二年のとき』を振り返ります。『ある日、とつぜん、教室に存在しなくなった』という『私』。『前日まで一緒に昼ごはんを食べていた友人たちは私などいないかのようにふるまい、クラスの誰に話しかけても反応は返ってこなくな』りました。『返事はおろか、私を見ることすらしない。ひそひそ笑われることも、悪意をぶつけられることもない』という中に、『それは無視と呼ぶにはあまりに徹底してい』ます。一方で、『教師たちは私の名を呼』びます。『班を作るときにあぶれる私を面倒臭そうに見て、「早くどこかに入れてもらいなさい」と言』う教師。しかし、『私抜きで課題をこなし、何を話しかけても、俯いて泣いてしまっても、やはりこちらを見ること』のないクラスメイトたち。そんな状況に、『原因はいくら考えてもわからなかった』という『私』。『誰がはじめたのか、なにが原因なのか、わからないまま、一週間、二週間と過ぎてい』きます。『危害を加えられるわけではない。けれど、私の存在も声も消され続ける』という日々を送る『私』は、『休み時間を違う教室で過ごし』、『一年のころに同じクラスだった友人とお弁当を食べ』ますが、『続くにつれ「クラスの子たちとなんかあった?」と心配されるようになった』ことで『それが知られることでこの子たちにも無視されるようになったらと怖くなり、その教室にも行けなくな』ってしまいます。『きっと遊びのようなものだ。いつか飽きるだろう』と思うも、『成績はどんどん落ちて』いく『私』は、やがて『これは、いったいいつまで続くのか。クラス替えまで終わらないのか』という思いの中に、『声を放つ気力も奪われてい』きます。そんなある日、『自転車を立ちこぎして』学校へと向かう『私』は、『植木鉢をたくさんだしている家の横を通り過ぎたとき、一瞬ふとももに熱い線が触れたような気がし』ます。『感電でもしたのかと思ったが、痺れる感じはない』という『私』は、『もっとスピードをあげ』、学校に着くと、廊下を走り、『深呼吸をひとつして、戸を開け』ます。そんな瞬間、『あふれ返ったざわめきがゆっくりと消え』、『全員が驚いた顔で私を見てい』ます。『視線は下のほう、私の脚にそそがれていた』という瞬間を感じる『私』。『ひゅっと息をのむ音がした』…という教室のその後が描かれていきます…という最初の短編〈竜舌蘭〉。過去の苦い記憶を『傷』に絡めて絶妙に描き出す好編でした。
“2024年4月26日に刊行された千早茜さんの最新作でもあるこの作品。”発売日に新作を一気読みして長文レビューを書こう!キャンペーン”を勝手に展開している私は、2024年1月に恩田陸さん「夜明けの花園」、2月に阿部暁子さん「カラフル」、そして3月には柚木麻子さん「あいにくあんたのためじゃない」と、私に深い感動を与えてくださる作家さんの新作を発売日に一気読みするということを毎月一冊を目標に行っています。そんな中に、独特の世界観が特徴で、昨年「しろがねの葉」で直木賞を受賞もされた千早茜さんの新作が出ることを知り、これは読まねば!と発売日早々この作品を手にしました。
そんなこの作品は、内容紹介にこんな風にうたわれています。
“からだは傷みを忘れない ー たとえ肌がなめらかさを取り戻そうとも。「傷」をめぐる10の物語を通して「癒える」とは何かを問いかける、切々とした疼きとふくよかな余韻に満ちた短編小説集”
“短編小説集”とある通り、この作品は月刊文芸誌「すばる」に2022年11月から2023年6月にわたって連載された8つの短編に、書き下ろし2編を加えた10の短編から構成された短編集となっています。連作短編というわけではありませんが、元々「すばる」に連載していた時のタイトルが「傷跡」だったということもあり、全ての短編が何らかの『傷』に光を当てていくものであることが特徴です。私は『血』を見ることが得意ではなく、注射の時も目を背けます。『傷口』を見ると意識が飛びそうにもなるくらいに苦手なので『傷』に光が当たっていくということに、若干引き気味で読み始めました。もちろん、『傷』というのが単に物理的な意味合いだけでもないことは想像いただけると思いますが、一方で物理的な生々しい描写に読んでいて意識が飛びそうになるようなシーンもあります。私同様、『血』が苦手!という方は、この点理解いただいてから手にされることをおすすめします。
さて、上記の通りこの作品では物理的な『傷』について取り上げられています。私が今までに読んできた作品の中でも”病気”に光を当てる作品がありました。加納朋子さん「トオリヌケキンシ」、山本文緒さん「シュガーレス・ラヴ」などですが、そこには、そんな“病気”と共に生きていく人たちの姿が描かれていました。それに対して、この作品は『傷』ということでその症状をさらに絞ります。加納さん、山本さんの作品では見た目には分かりにくい”病気”も多々登場しました。それに対して、千早さんのこの作品が取り上げる『傷』は、想像するだけで痛々しい感覚が伝わってくるところがポイントです。具体的にどういうことか少し見てみましょう。
『動物咬傷』: 『野良猫に咬まれ関節炎をおこし変形してしまった指、壊死してしまった手の甲、犬の牙が貫通した頰、ちぎれかけた耳』
短編〈この世のすべての〉で取り上げられるのが『動物咬傷』ですが、この具体例の羅列だけで意識が飛びそうです。普段、動物との関わりというとペットとしてのふれあいという前向きなイメージを持ちますが、この短編で描かれていく世界はそのマイナス面に光を当てるものです。
『低温熱傷』: 『熱湯じゃなくても火傷ってする』、『ゆっくりじっくり火が入って皮下組織まで壊死する』、『低温調理された肉みたいにきれいな桃色』
短編〈林檎のしるし〉では、これも『傷』と言えば『傷』なのか…という『低温熱傷』が登場します。『湯たんぽ』が原因になるという『低温熱傷』については、そんなことがあるんだ、と知識が増えた思いですが、『低温調理された肉みたい』という表現で今夜は肉が食べられそうにありません…とほほ。
『処女膜裂傷』: 『初体験の傷は裂傷』、『スポーツなんかで自然に破れることもあれば、初めてでも出血も痛みもない人もいる』
最後にご紹介するのが短編〈結露〉で光が当てられる『処女膜裂傷』です。そんな風に冷静に書くものなのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、『施術の名前があるってことは、傷』ということになるのだそうです。いずれにしても女性な千早さんが書かれるあくまで女性視点でこの『傷』を見る物語であることは付記させていただきます。
というように、この作品に収録された10の短編では、多種多様、さまざまな『傷』に光が当てられていきます。書名に冠される「グリフィスの傷」とは『目に見えない傷』を指すようですが、痛々しい感覚が読み手に伝わりやすいのが『傷』でもあり、痛々しい表現がそれをさらに演出してもいきます。う〜ん、ある意味で読む人を選ぶ作品とは言えるかもしれません。
では、そんな10の短編の中から3つの短編をご紹介しましょう。
・〈指の記憶〉: 『蜜柑、ひとつもらっていい?』と『下の名前しか知らない女の子』に尋ねるのは主人公の『俺』。『右手の親指を蜜柑の裏のくぼみに押し込む』俺は『この指さ、ぜんぶちぎれたことあんの』と『右手をひらいて見せ』ます。『大学の時のバイトで。もう十年以上前…でっかい電動の糸鋸みたいなやつで切断されちゃってさあ』と語る俺に『えーすご、くっつくもんなの?』と返す『女の子』。それに『くっついてるじゃん。ばっつり切れたのが良かったみたいだよ。潰れたり、引き抜かれたりしたらすんなりはいかないらしいし』と説明する俺。『でも、切れちゃったものがほんとにちゃんと戻るの?』と訊く『女の子』を『抱き寄せながら「俺の指の動き、ぎこちなかった?」』と訊く俺は…。
・〈あなたの繰り返し〉: 『あなたの唇の横の黒子をおぼえていました』と、『あなたのことを実際に見たことは』ないものの『SNSにあがるあなたの画像』を見つめていたというのは主人公の『わたし』。しかし、『あなたのSNSが削除されて、あなたが所属していたグループも解散して、あなたの情報は更新されなくなりました』という今を思う『わたし』は、『週に二日か三日』公園で『弁当をひろげて昼休憩をとるわたしの横に座』る『あなた』のことを見ます。『リスカ跡のある女は萎えるんだって。知るかよ、そんな性欲…』と言う『あなた』に、『わたしも一本あります』と返す『わたし』。『そうなの?』と言う『あなた』は、『一本だけならレーザーで薄くできるみたいだよ』と続けます…。
・〈あおたん〉: 『うちはお金がなくて』『兄のお下がりの黒のランドセルを背負っていました』と過去を振り返るのは主人公の『私』。ある日、下校後、『なんの店だった』か、『あおたんのおっちゃん、と呼んでい』た『おっちゃんの店』へと赴いた『私』が、『「あおたんのおっちゃん!」と叫ぶと』、『あおたんやのうて刺青やって言うとるやろが』と言われます。『刺青で覆われてい』たというおっちゃんと『散歩にでるのが常』だったという『私』は、『私も刺青を入れたい』と言いますが、『子供はあかん』、と首を振られてしまいます。そんな日々の中で『新しい担任』に、『身体を触られ』るようになった『私』は、そのことをおっちゃんに話しますが、それを聞いたおっちゃんは…。
3つの短編がいずれも何かしらの『傷』を取り上げていることはお分かりいただけるかと思います。特に『指の記憶』は、もうすでに痛々しさが伝わってきて人によっては、この作品は絶対に読まない!と心に誓われた方もいらっしゃるかもしれません(笑)。他の作品も『リスカ跡』、『刺青』というようにあまり明るいイメージはありません。やはり、『傷』というもの自体が前向きな心持ちの象徴になどはなり得ず、負の側面を強く印象づけるものであることには違いないと思います。そんな物語は、”からだは痛みを忘れない”、と内容紹介に記される通り、『傷』の”痛み”が癒えない主人公たちが物語を引っ張っていきます。そして、それぞれの『傷』と向き合ってもいきます。
『きずあとは私を冷静にさせる』
“痛み”を伴った記憶が、その”痛み”は消えても残り続ける『傷』自体を見ることで過去の記憶がワンセットになってそこに残り続けていることが分かります。
『頭の記憶はなくても体は覚えている。傷の記憶は体の奥深くで疼き続けて消えることがない』
そう、『傷』とは、『傷跡』となって残り続けることも多いものです。特に強い”痛み”を伴ったものであればなおさらであり、また、そこにはその『傷』を負った時のさまざまな記憶が封じ込められているのだと思います。
“傷のネガティブ感を覆したいというのもありました。傷痕を自分の中で肯定的に受け止められたら、それはもう傷じゃなくなるんだろうな、という気持ちで書きました”。
『傷』に光を当てたこの作品にそんな思いをこめられる千早さん。上記した通り、『傷』を前向きなものとして捉えることは困難だと思います。しかし、そんな困難に立ち向かい、”ネガティブ感を覆したい”とおっしゃる千早さん。この作品には、千早さんがおっしゃる通り、”それはもう傷ではなくなる”という瞬間を見る主人公たちの姿が描かれていました。『傷』というものに対する見方が変化もするこの作品。『傷』というものが持つ奥深さを思うこの作品。
千早さんの筆が見せるリアルな痛々しさが伝わる物語の中に、『傷』というものの意味を改めて思う、そんな作品でした。続きを読む投稿日:2024.04.27
千早茜さんの本は長編が好きなのだが今回の短編集はどのお話も満足だった
傷をテーマとした10の物語
中でも一番好きなのは「この世のすべての」
同じマンションの住人であるこの世のすべての犬が嫌いなトラブ…ルメーカー男とこの世の全ての男が怖い女子高生の話
お互いに分かり合えているのかと思いきやラストに驚いた
傷をテーマにしているからか、どのお話も心が何かしら苦しくなった続きを読む投稿日:2024.04.29
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