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小説 太平洋戦争(9)
山岡荘八(著)
/山岡荘八歴史文庫
作品情報
昭和20年8月15日、ついにポツダム宣言を受諾、日本の敗戦はきまった。武人たちは簡潔な遺書を残して自決し、天皇は「責任は私が負う」とマッカーサー元帥に告げた。そして「何世紀もの文明を抹殺する思想」で東京裁判が始まる……。滅私奉公に徹し祖国の不滅を信じて逝った人への鎮魂の巨編、完結!
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商品情報
- シリーズ
- 小説 太平洋戦争
- 著者
- 山岡荘八
- 出版社
- 講談社
- 掲載誌・レーベル
- 山岡荘八歴史文庫
- 書籍発売日
- 1987.03.02
- Reader Store発売日
- 2011.06.23
- ファイルサイズ
- 0.3MB
- ページ数
- 398ページ
- シリーズ情報
- 既刊9巻
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この作品のレビュー
平均 4.0 (6件のレビュー)
-
このレビューはネタバレを含みます
いよいよ最終巻だ。
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陛下の玉音放送に先立ち,日本が条件付で受諾することが日本軍の青年将校達に漏れ,彼らの動きは慌しくなった。ある者はテロによって,平沼,近衛,岡田,鈴木,米内,東郷を暗殺すべきだとし,またある者は陸軍大臣の治安維持のための兵力使用権を利用し,実質的にクーデターを断行すべきだとして,その構想を進めだしていた。
外務省では『天皇の主権が一時軍司令官の”制限下におかれる”』と訳され,これは『”隷属”ではないか』と将校達が騒ぎだした。天皇の大権が軍司令官に隷属して何の国体護持であろうか。もはや逡巡すべき時ではない。国体護持のために敢然決起して天皇を我らの手に奪い返さなければならない!という空気が支配的に強くなった。敵の手で武装解除されるというのだから,感情的に納得できるはずがない。そんな屈辱に耐えるぐらいなら,人も我も共に死を選ぶべきだ,というのが根本にある。しかしながら,このクーデターは,陸軍上層部には依然として保持されていた”承詔必謹”により,なだめられ,また,上層部は,命を投げ出しながらの説得や,自決による無言の慰留などにより,何とか日本人同士で血で血を洗うような内乱には発展せず,治まりを見せた。
敗戦の責任者である軍の側では,阿南大将に続いて自決して行く者が続々と現れた。上は元帥から下は一等兵に至るまで,総計568名の人々が自決に及んでいる。従って,日本人の死生観と人生観,責任感の諸々相は,ここに網羅されていると言って良い。これらの自決者に共通しているのは彼らが自からの肉体を捧げる事によって民族永遠の生命を清めようとしていることであり,清め得ると信じている点である。この自信はいうまでもなく,神国思想の肯定に繋がるもので,ほとんどの遺書の末尾には,天皇陛下万歳か,皇国の弥栄を祈って逝くという殉教的な意味が書き加えられている。また,その反対に,終戦時から,国体だの神国思想だの,伝統だのというものの一切を否定して,過去と訣別しようと騒ぎ立てた進歩的文化人と呼ばれた人も出てきた。
『日本は果たして敗れたのであったろうか?』そうした疑問と反省は日本人の間よりもむしろ外国人に多いようだった。有色人種中唯一の近代国家として20世紀に生き残っていた大日本帝国が,その当時の文明の最大汚点であった人種的差別観という人間不平等の悪慣行に遂に怒りを誘発させられて起ちあがった。そして,数百万の犠牲を払っただけでなく,最初の原子爆弾まで浴びてヘトヘトになったところで,危うく『国体』という眼に見えない観念の中心の柱であった天皇の実力によって救われた。それだけではない,その折にあらためて『神国』の持つ『国体』が色々な面から吟味摘出されて,その護持にはこれしかないというご聖断の前でポツダム宣言を受諾する結果になった。そして受諾してみると,もはや世界の夜は,人種的不平等の点では夜明けを迎えることになっていた。
終戦のご詔勅が放送され,続々と自決者を出しながら,15,16,17日の3日間の間に,日本人が成し得た政治的な処置といえば,鈴木内閣が敗戦の責任をとって総辞職し,これから進駐してくる連合軍の受付窓口として,東久邇内閣を成立させたことぐらいであった。新内閣は,何よりもまず,外地派遣軍の反乱や暴動に気を配った。ポツダム宣言を受諾した以上,これに従うのは日本側の責任だとする律儀な民族性の現われだ。誰を現地へ派遣したら天皇の大御心を誤りなく伝達することができるだろうか。結局これも皇室にすがることになった。捕虜になるよりは死を選べと教育されてきた軍隊が,270万9千人も海外に残っていたのだ。これをおとなしく武装解除しなければならない。全く混乱が無かった訳ではないが,何とか,順次,復員を完了していった。
連合軍の進駐が落ち着くと,太平洋戦争に対する裁判に向けた逮捕が始まった。東条は逮捕されるであろうと当然にして覚悟していた。逮捕前日のインタビューでは,はっきりと戦争責任にも触れている。『私は今度の戦争に責任があった。私は全面的にその責任を負う。しかし,だからといって私は,その事から私が戦犯であるということにはならないと信ずる。自分が正しいと信じている国家の戦争指導を行うことと,戦争犯罪人であることとは別問題である。しかし,これもまた戦勝国の決定するところではあるが。真の軍人は,戦場では最後まで真剣に戦うものである。平和が宣せられたら戦争は終わる。一生懸命にフェアに戦った相手をお互いに尊敬するものである。しかたがって日本国民のみならず,私自身もマッカーサーを尊敬している。』と答えている。この答えはどこまでも理性的でフェアであったと言えるが,相手は東条が考えているほど淡白で寛容な紳士ばかりではなかった。この戦争で流し続けた血の末端に,黄色い皮膚の『剃髪したアジアの極悪人』が立っている。そ奴に復讐しなければ死んだ戦友に合わす顔がないという,集中的な憎悪の焦点に東条をとらえていた。当然,東条は自決も考えたが,次第に自決以上の責任のとり方を考え出していた。累が陛下に及ばないようにしなければならない。陛下が始めからこの戦には反対であり,どのように平和維持のために苦労されたかを一番良く証明できるのは自分ではないかと考えたのだ。
太平洋戦争の裁判は,正式には『極東国際軍事裁判所』と名付けられらが,その命名からして適正とは言えなかった。これが軍事裁判であったことは事実ながら決して『国際的』な裁判ではなかった。国際という以上,戦勝国と敗戦国の双方を中立国の良識が裁くという形を採らなければ正義は期し難い。ところが,この裁判ではアメリカ,ソ連,イギリス,中国,オランダ,フランス,豪州,カナダ,ニュージーランドの9戦勝国が寄ってたかって敗戦国日本を裁くというのだから,公平さとはおよそ縁の遠い,完全に一種の復讐の祭典でしかなかった。降伏した日本人からまず武器を取り上げ,その上で憎悪の対象を逮捕監禁しておいて復讐するというのでは,厳密に言えば法の悪用にほかならない。この裁判はおかしいのではないか,当然そうした声は戦勝国の法律家の間でも上がっていった。そこで,直接命令者であるマッカーサー司令官は,さらにインドとフィリピンを中立国として加盟させたのだが,そのためにこの裁判の本質を変える事にはならなかった。フィリピンは日本軍を憎悪しており,フィリピンの裁判加入は日本人への憎悪に油を注ぐものに他ならず,わずかにインドのアール・ビー・パル判事の判決文だけが,東条はじめ,日本のA級戦犯25名は全部無罪である,と判定した。戦勝国が勝つことによって権力を握り,勝手に法律を作って敗戦国の人民を裁くことができる。勝ちさえすればそれが正義なのだ。そんな不条理な状態を指して,パル判事は『数世紀間の文明を抹殺する思想である』とはっきり述べている。真珠湾の奇襲すら,ルーズベルトが予知していながら,わざと誘いをかけたものであったと判明している現在,この裁判が適正であったか否かは論外としてよいだろう。おそらく,冷徹な合理主義者であり,軍人としては珍しい理想家でもあったマッカーサー司令官がこの不条理に気付いていないはずはない。しかもなお,この復讐の祭典をあえてしなければ幕の降ろしようがないところに”戦争”という野蛮な背徳行為の宿命があったと見るべきであろう。
戦犯者と連合国側が言う者の逮捕や自決が次々に陛下の耳に入っている。陛下は,その事にいたたまれなくなり,マッカーサーを訪れる(マッカーサーと陛下の2人で写った写真があるのがこの時のものである)。マッカーサーはそこで,陛下から,『私(陛下)は,国民が戦争遂行にあたって政治,軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして,私自身を,あなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためにおたずねした』と述べられたという。天皇は戦争犯罪者として起訴されないように自分の立場を訴えにきたのかと考えていたマッカーサーは,この言葉に対し『骨の髄までゆり動かした』と回想している。この陛下の訪問によって,マッカーサー元帥の日本に対する印象が,敵意を超えて,親愛と尊敬に変わっていったことは紛れもない事実であった。ただ,骨の髄までゆり動かされたマッカーサーだったが,戦犯逮捕についてはどうにもならない戦争余後の宿業であった。
このような経過をたどり,昭和21年5月3日に,いよいよ東京裁判の公判は開かれた。判決は昭和23年11月12日だから,2年半に亘る裁判になった。東条大将以下7名は絞首刑,木戸内府以下16名は無期禁固となった。
東京裁判で絞首刑の判決を受けた7人の犠牲者の処刑が行われたのは昭和23年12月23日午前1時ごろであった。東条英機,土肥原賢二,広田弘毅,松井石根,板垣征四郎,木村兵太郎,武藤章であった。ポツダム宣言では通例の戦争犯罪だけが対象となり,これを裁くことだけが適法なはずであった。しかし,人智を持っては補足しがたいような”平和に対する犯罪”だの,”人道に対する犯罪”だのをいうものを挙げて,逮捕・裁いていったのだ。それは,裁く側に恐怖心と憎悪と,日本人を永遠に叩きのめしてやろうという,それこそ思いあがった『人種的理由に基づく迫害』であったにほかならない。つまり,日本人を懲らしめるためには,ポツダム宣言の中に盛り込んで予告し,約束してあった,『俘虜を虐待したる者を含む戦争犯罪者』という従来の国際法の適用では満足できなくなり,これを無視する事に踏み切ったのだ。しかし,この判決に対し,次第にアメリカの弁護人は裁判の中で『こうした最初から結果を決めているような八百長裁判には参加できない』と腹を立てるものが次々に現れだした。彼らが日本人非難の中心においている『真珠湾を忘れるな』というキャッチフレーズが,実はだんだんあやふやになっていったのだ。日本が国際法を無視して真珠湾を奇襲攻撃したというのが,太平洋戦争のそもそもの発端であり,彼らが人道上の優位を誇って『平和に対する罪』を日本に押し付けてくる眼目になっていたのだ。ところが,その中心の眼目が,実はアメリカから仕掛けたものであることが,次第にアメリカ国民達にも明らかになっていったのだ。『ルーズベルトこそ,アメリカを戦争にかりたてた張本人であり,アメリカ国民を欺瞞し,故意に真珠湾の悲劇を招いた責任者である』と。しかし,こうした事実が一切無視されたまま,東京裁判は進行されてゆく。そこで途中からこの裁判には参加できないと,アメリカ人の弁護人は,弁護士としての誇りある職業意識により,日本を去っていった。始めから負けると決まっている裁判など,職業的にも面白くなかったからか,造られてゆく歴史の虚偽を見るに耐えられなかったのか。第2次大戦という戦争の中の,日本に関する部分の最大の原因は,やはり人種的偏見に根ざしてあったのだろう。ルーズベルトやハルにとっては,肌の黄色い日本人を,アジアでのさばらせておけるものかという,理非を超えた白色人種の優越感があったのだ。
とにかく,判決が先に決まっている裁判は,途中から,更に引っ込みのつかない局面を迎えていった。ルーズベルト大統領が,反戦的なアメリカ人を戦争にかりたてようとして,日本人に挑んだ戦争突入のからくりを,何とか見透かされないで済まさなければならないことになってしまった。そこで検察側では必要以上に『日本軍の残虐性』を暴きだし,真実がアメリカ国民に漏れる事を隠蔽しようとした。『真珠湾を忘れるな』が一変して『フィリピン島の残虐』とか,『南京の大虐殺』の誇張となったのだ。戦争と残虐行為は不可分の関係を持っている。残虐でない戦争などない。東京大空襲のおりに積まれたむこの日本人の累々たる死屍の山は何だったであろうか。広島と長崎に投下された原子爆弾による数十万の殺傷は残虐行為ではなかったのか。フィリピン島や南京で残虐行為が全くなかったとは思わないが,裁判のおりに宣伝されたような規模の大虐殺が日本人の手で行われたとは根拠がない。支那の戦場での民衆の虐殺や略奪は,日本人よりもつねに敗走してゆく支那兵の手で行われたことを著者は従軍でよく見たと言う。ここの部分は,私としても今後色々な書物を読み,本当に何があったのかを知りたいし,日本人として知っておかなければならない事だと痛感する。
また,処刑された7人に対する仕打ちにも許しがたいことがある。既に,進んで十字架を背負おうとし,従容として処刑台にのぼっていった人々に,手錠ばかりか褌バンドで股まで縛りあげたまま刑場に送り込んだというのだ。これは日本人に対し,許しがたい侮辱であろう。また,遺体は焼かれて,その灰は取り捨てられるということだった。そのような侮辱を黙って見ている日本人ばかりではない。火葬場長の飛田さんらは死を覚悟して刑場に進入し,見事,7人の打ち捨てられて残っていた遺灰の奪取に成功した。それは,秘事として隠され,昭和35年に殉国七士の墓として愛知県に祀られていった。
アメリカとの関係の他に,ソ連の侵入についても書いておかなければならない。ソ連進入に伴う満州国解体にからむ日本民族の受難は,歴史上,最も悲惨をきわめた大量受難事件であったといえよう。その原因はソ連軍が不可侵条約を一方的に破棄して,8月8日突如として満州に進撃を開始してきたことによる。それにしても,60万以上の関東軍もあれば,満州国軍もあったはずだ。それらが治安維持もせずに,あっというまに雲散霧消し,侵入軍ばかりか,略奪者や暴民の蹂躙に任せ,犠牲となった婦女子の数は,判明しているだけで20万以上だった。200万誓い在留同胞のうち,昭和37年6月までに満州と関東州からの引き揚げ者は127万あまりで,他の70万近い人間は恨みをのんで消えてしまったことになる。200万近い嬰児を含めた老若男女が,国を失い,家を追われて略奪,強姦,暴行,飢餓,疫病,殺人,自殺と至らざるなき迫害に晒されながら,満州・蒙古・朝鮮の大地を彷徨したという悲惨な事実は非常に胸を痛めることであった。
こうなっては,とにかく安全な地帯まで退避させなければならない。そのためには鉄道で輸送するしかないのだが,その第1次の列車に乗り込んだのは,関東軍関係者の家族や一部満鉄社員の家族らだった。このため,居留民や開拓団の老幼家族を後に残して,軍人の家族だけが先に引き上げたと言う事実は何とも申し開きのしようのない世間の指弾と誤解を受ける結果になった。仮にどのような理由があったにせよ,こうした民衆の怒りは簡単に解けるものではない。平素,軍命令に唯々と服従を強いられてきているだけに,それは凄まじい呪詛になった。
連合軍側は,この満州国を日本の傀儡国家と見ていたが,しかし,日本側から見れば,これは『5族協和』の理想の旗をかざした新興国家であった。五族とは,清朝に繋がる現地の満州族と,漢民族,朝鮮民族,日本民族それにソ連を追われた白系ロシア民族である。これらの五族が手を携えて,儒学の王道による楽土を建設しようという,まことにロマンチックな理想を出発点にした国家であった。したがって,白色人種に非ざれば人に非ずの時代でなかったら,アメリカ合衆国にも比すべき,ロマンの香りに充ちた建国とされたであろう。むろん中心は日本人だったが,それまでは狼と虎と馬賊の出没に任せた物騒きわまる荒野であったのだから,この建国はアジアのためには刮目すべき出来事というべきであった。西洋流の自由主義国家,同じくそこから生まれた共産主義国家,それと並んで,東洋流の王道国家が,人類の幸福な生存のためにどのような実績を挙げ得るか。巨視的に競い合ってみたら一つの偉観をなしたであろうが,しかし,そのような事を許容するほど当時はまだ進歩した世界ではなかった。地球上は完全に白色人種の支配下に置かれ,彼らにとって不都合な存在はすべて手厳しい排撃を受けなければならない点では,戦後の東京裁判か,あるいはそれ以上に偏った時代であった。また,明治半ば過ぎまで漢民族を征服して,中国大陸に君臨していた清朝の愛新覚羅家の当主溥儀を探し出して皇帝に頂いたのも拙かった。満州国は,この愛新覚羅を頂点にして,各部の大臣は全て満人だったが,その代わり,次官は各部とも日本の官僚で占めていた。このため,大陸統一を目指す中国国民政府と真正面から衝突することになり,列強はこれを支援して,まず国民政府を日本の前に立ちふさがらせた。一方,極度に貧しかったソ連もまた指をくわえて眺めているはずがない。すぐ目と鼻の先に主義主張の全く相反する王道楽土などが建設されたのでは,ソ連は自壊作用を誘発しかねない。したがって,支那のもう一つの共産勢力である国民政府と結んで,三方から打倒を目指すこととなった。その果てが支那事変であり,大東亜戦争であり,太平洋戦争なのだから,一旦ソ連の侵入を許したとなれば,もはや収拾の方法などありようがない。もともと満州族に独立独歩の気迫などは求めるのが無理であった。漢民族も同様だ。かれらは,他民族の支配下に生きるように慣らされた民衆であり,そんな民衆にとっては,侵略者の実力が問題であり,結局,実力が上でありそうなソ連と結託して行くようになるのである。
終戦後は,満州の難民の救済を日本軍も進めたが,武装解除と同時に,軍籍にあるものはことごとくソ連に拉致され,捕虜としてよりは,奴隷としてかなり長期にわたって酷使された。
在満日本人の受難については,ほとんどの団体が全滅・行方不明となっているので,後世に伝えるのに著者は『空しく消えた』としか書きようがないのが悲しいと語っている。連合国側が,『人道の罪』などとうそぶいて,聖者顔して裁いた『東京裁判』の裏に,どのような非人道ぶりが隠されていたことか,本書には数例だが載っている。それは読むだけでも怒り心頭に達し,血が煮えたぎるような暴虐であるため,ここに記載しがたい。
満州国を日本が『五族協和』『王道楽土』の理想を掲げた建国の歴史は,行き詰まった旧体制打破,新秩序渇望の一事例であり,これは,自由を求めてアメリカ大陸へ押しわたった人々が,アメリカ合衆国を作った事例の東洋版に他ならないではないか。ところが,アメリカ建国の頃には微力でこれを破砕し得なかった者達が,さらにアメリカ合衆国までを味方に語らい,今度は徹底的にこれを妨害し,破壊し去った人種差別の戦いであったと思う。その意味では,ルーズベルトは米国最低の政治家であったと批判されだす日が必ず来るであろう。
著者が最後に言う。
もはや我々は,残虐にして無意味な実態を極め尽くした『戦争』という紛争解決手段に断じて頼ってはならない。といって,日本国内の自衛力まで真っ先に解消せよという夢想家にもなりきれない。仮に,関東軍があのような骨抜きになっていなかったら,満州族の崩壊や一般市民の犠牲はまだ少しは防止できたと思うからだ。第2次大戦のヨーロッパにおける最大の悲劇はナチによるユダヤ人大量虐殺であった。そして東洋における最大の悲劇は,この満州国における日本人も含めた一般良民の受難であった。とにかく戦争は,それがたとえゲリラ戦であろうと,内乱であろうと,一応は筋を通したかに見せかける国際法による戦争であろうと,一般良民にとっては残酷無残,理性や人情は,そのかけらの介入も許さぬものであることを,戦後世代の我々に強く訴えかけている。
戦争は煎じ詰めれば,自己主張の拡大であり,衝突である。それがイデオロギーの相違からであろうと,日常生活闘争からであろうと,闘争そのものが拡大されると,戦魔はそのわずかな間隙から入り込んでくる。我々日本人は幸いな事に,世界稀有の単一民族だ。どの家系も十数代もさかのぼれば,みな血と血の繋がりを発見するという家族国家だ。そうした特殊な我が国の民族性は,他者を侵しもしなければ侵されもしないという,平和に徹して生きていく可能性を持った民族であるのだと思うのである。
天皇陛下バンザイ,と言う彼らの心には,天皇陛下個人に対してと言うより,陛下を全ての日本人の心と同一視し,言い変えるならば,日本人バンザイとでも言うような心境ではなかったか。日本人の心は天皇陛下の心と同じであり,また,天皇陛下の心は日本人民衆の心と同じであると。
この本を読まずして,日本を語ることなかれ!投稿日:2012.06.09
戦争終結とともに自殺する軍人たち。今ではおよそ考えられない考えの下の行為で、これは昔の侍のようです。こういったことは、遠い昔のことのようでありながら、わずか80年ほど前の出来事。この本を読んで戦争は絶…対にやってはいけないこと。そして戦争終結後の満州国に残された人たちの悲劇も、辛い出来事。著者のソ連を憎む気持ちはよく分かります。そして印象的だったのが、ラスト2ページ。どんな理由があれ、戦争を否定する著者の思いは、今の某国々のお偉い方に読ませたいと、強く思いました。続きを読む
投稿日:2023.05.13
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