小説 太平洋戦争(4)
山岡荘八(著)
/山岡荘八歴史文庫
この作品のレビュー
平均 3.5 (4件のレビュー)
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このレビューはネタバレを含みます
ガダルカナルの敗北は太平洋戦争における峠であったと言ってもよい。ここで失った人と物と時はその後の日本軍に与えた影響は無限大の大きさであった。艦艇や航空機の喪失は日本側だけでなく,アメリカ側も同様もしくはそれ以上に出ていたが,費やされた”時”の与える影響は両国で全く違ったものとなっていた。アメリカ側の工業生産高は日本のおよそ13倍であった。これを航空機にとれば,日本が1機生産する間にアメリカは13機生産するという事だ。したがって日本はアメリカの12機を無損害で撃破しなければ均衡が崩れていくという事になる。鐵鋼の生産量でもアメリカ側の1億トンの供給量に対し,日本側は400万t。これは,日本の艦艇1隻が,25隻の敵を撃沈するのでなければやがてはバランスが崩れるということだ。こういう前提のもと始めた戦だということを肝に命じておかなければならない。
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ガダルカナル攻略の後は,西ニューギニアの攻略に進むものと考えていた日本軍は,ガダルカナルの敗北前に,既にニューギニアにも兵を投入していた。ガダルカナル攻略後,その兵をニューギニアに投入するものだったため,まず,上陸させたのは,工兵が3分の1を占める部隊だった。その部隊が全く気付かないままに,マッカーサーは10倍の兵力をもって大飛行場をニューギニアに整備し,日本の陣地に向けて進撃して来た。寡少かつ戦闘部隊で無い日本軍は,敵が猛射を浴びせてくると,日本はただじっと待ち,猛射が止むのを待って突撃して行くしかなかった。この突撃だけはアメリカ兵の最も苦手とするところだった。アメリカにとっては,物は決して惜しんではならない戦争の必需品であって,戦争とはそうした消費・浪費を惜しんでゆくと,より貴重な人命の消費に振り返られねばならないことを良く計算している。日本側は物量が足りないので,ついに人命をもってこれに代える考え方に馴らされていた。このため,アメリカは日本兵の突撃を警戒し,弾雨の中に日本兵の闘魂を閉じ込めようとした。射ち止めたら突撃してくるので,突撃させないためには,つねに弾丸を射ち続けて,壕の中へ日本兵を閉じ込めておくに限るのだ。そうすれば,やがて空腹もあり,飢餓もある事を冷静に計算に入れた攻撃方法であった。いうなれば,これこそ真の『人と物との戦い』であった。こうすれば,いかに頑強な日本兵も降参するに違いないとマッカーサーは踏んだのだ。
中央では常に地図をにらみ数字を並べて作戦を立ててゆく。無傷の3個師を送るには,何ほどの船舶を必要とし,何ほどの武器・糧食を必要とするか,そうした数字による兵力比の計算だけで容易に勝算をはじき出し,そうした根拠から実戦部隊を叱咤し,命令して行くのだが,実際の戦場ではそうはいかない。戦場は常に敵の出方に応じ,思いがけない突発事や変化が連続的に待ち構えている。逆に,実戦部隊の現実的な要求を,どうして中央が満たしてやれるかに本当の勝敗はかかっているのに。
山本五十六は十八年五月の開戦から1年半にあたっている時期に,起死回生の”い号作戦”を立案する。1年半の間にミッドウェーの蹉跌はあったが,とにかく,タイ,インドネシア,ガダルカナル島までは互角の戦いをしている。ガダルカナル島を撤退して,勢いづかせた敵に,ニューギニアでもまた手も足も出なかったとなっては戦いはもはや終わりではないかという思いがあった。開戦から1年半から2年になると戦いには自信が無いと言っていた,開戦当時の山本の言葉を踏まえると,この時期は既に山本としても最後の手段を講じる時期だという認識であった。しかし,山本の乗った飛行機が撃ち落され,日本海軍は戦略的,心情的な柱である山本を失ってしまう。陸軍にとっても,よき理解者たる山本の死は非常に大きな影響を与えた。
ニューギニアでは,ガダルカナル島と同じように,アメリカ軍の武器・人の供給量が飛躍的に増加し,もはや完全に人対人の戦いではなく,アメリカの物量と,生き残った日本兵の戦いになってきた。敵の5万発を超える砲撃に対し,日本は10発ぐらいを打ち返すといったぐあいだ。こういった状態の日本軍に対し,アメリカは更に包囲の輪を縮めてくる。日本軍は,前進するも退却するも,その包囲網を突破しなければならなかった。そんな強行軍について来れないような傷病兵は,戦友達の足手まといになるのを恐れて律儀に自決の道を選び,死んでいった。日本軍が撤退する時には,どこの戦場にも,必ずそうした自決があった。ニューギニアでは富士山よりも高い4500m級の山を縦走して敵の包囲網を交わしたり,30kmにも亘る湿地を,10日間もずっと立ったままで進んで行かなければならなかった。日本陸軍の第51師団はこのような信じられない行軍を実際にしてきたというのだから,そんな話を聞くにつれ,何ともいえない申し訳なさや感動や哀しみが入り混じった感に襲われるのは私だけだろうか。
参謀本部でも大本営でも,こうしたニューギニアの悲劇を全然知らずにいるはずはなかった。国民の前にこのみじめな実情の報道こそなかったが,自分達の招いたこの大失敗を痛いほどよく知っていた。しかし,時すでに遅く,もはやどうすることも出来なかったというのが実情ではなかったか。このため,十八年の秋ごろからは,本部でもソロモンとニューギニアの前衛戦線を放棄し,退却せよという意見がしきりに出だしてきた。しかし,現地では退却すら出来ない包囲網の中にいる。とにかく,進むも死,退いても死の絶対絶命の窮地に立たされている。援助物資も届かないとなれば,当然,現地での食料調達となる。しかし,ニューギニアでの現地調査の結果,兵達に加え原住民をもまかなう程の食料が無いとわかった。いかに皇軍の兵士達といえども,極限状態でどのようになるかわからない。いや,原住民や味方になっているインド兵も交えた大暴動になりかねない。人間がいったん食をめぐって争いだしたら,それはもはや何者もこれをさえぎりえるものではない。しかし,そうなってはこれまでの忠烈さも,名誉も一度に吹き飛んで,民族永遠の汚辱が刻印されることになる。そこで遂に,ニューギニア包囲網にある安達二十三(はたぞう)第十八軍司令官は,熟慮の上”我々は皇軍なのだ”という誇りを胸に,玉砕覚悟で進撃していった。原住民との食料争奪戦になるよりも,名誉ある死への突進を選んだのである。しかし,この玉砕覚悟の進撃戦も,自給自足生活をしながら長期に亘り,結局,昭和20年の終戦までに頑張り続けたのだから凄まじい。終戦時,第十八軍の生き残りは,第20師団2千名,第41師団1300名,第51師団400名という酸鼻を極めたものであった。
南太平洋のガダルカナルとニューギニアの戦いは,その最初からあまりに悲惨すぎるものであったが,アジア地域内のビルマはその2者と違って,緒戦当初はまことに輝かしい勝利と栄光に飾られた戦いであった。日本はビルマに進出して,イギリス軍を追いはらわなければ,マレーからインドネシアの石油地帯を確保出来ないし,ビルマは日本軍進出の間に自国民の義勇軍を結成して,長い間の植民地的抑圧から独立を図るという点で完全に両者の利害は一致していた。タイも中立を守っていたが,日本軍大勝の報が続々と入るに及んで,日本軍の国内通過も許容してくれることになった。日本軍が常に誇称していた”皇軍”としての面目を占領地域で遺憾なく発揮したのは,今村軍司令官のインドネシア掌握時代と,このビルマにおける緒戦当時だけだったような気がする。成功の原因としては,両者の利害一致の他に,両者がいずれも仏教徒であったということがあるのではないか。一人一人が故郷を偲びながら合掌する姿は,このうえなく親しい身近なものに見えたに違いない。それが日本軍に協力したいという感情的な部分に強く訴えたのではあるまいか。
そんなビルマにおいても,現地部隊の苦労が大本営には理解されない。現地の兵隊の生命を投げ出しての善戦敢闘が,逆に上層部の人々に戦争を安易に考えさせる原因にもなった。
ビルマ方面軍のインパール作戦については,現地軍がやれるというのならやらせるがよい,というのが中央部の意見の大勢であった。しかし,ニューギニアの戦局が悪くなっていくに従い,ビルマのインパール作戦は,起死回生の一撃にと,その戦略的な意義が当初とは違ってきた。インパール作戦を主導したのは,現地の牟田口中将だった。従来ならば,一個大隊の兵力をもって密林に包囲圧縮して行けば,支那の一個師団はただちに潰走するのが例であったが,彼らには大きな変化があった。今までの包囲は,そのまま補給路の遮断を意味していたが,敵の補給は一切が空からに変わってしまっていたのだ。こうなると,日本軍がどんなに突撃を敢行しても,日本側は補給は無く,少しづつ減って行く一方なのに対し,敵はいつでも補給が受けられ,逆に益々増加して行く一方であった。つまり,空からの補給という新戦術を採用されると,日本軍独特の肉弾攻撃ではどうにもならないということであった。そんな困難な状況であっても,日本軍は牟田口中将の激のもとインパールを目指すしか生き延び,戦線を収拾していく方法はなかったのが現実であった。ビルマ戦の初戦では敵を蹴散らしたものの,次第に負け戦の色が濃くなっていった。そうなってくると,このインパール作戦に凄まじい執着を示している牟田口中将への反感が軍内に充ちはじめ,そこからビルマの戦局についても悲劇が始まっていったのだ。投稿日:2012.05.08
ニューギニアおよびビルマでの劣勢。現地指揮官たちの苦衷。米英との物量差が歴然と表れてきた。2018.7.30
投稿日:2018.07.30
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