iciさんのレビュー
参考にされた数
95
このユーザーのレビュー
-
日の名残り
カズオ・イシグロ, 土屋政雄 / 早川書房
過去と現実を受け容れることで、前向きになれる
8
ブッカー賞受賞作にして同名映画の原作。アメリカ人大富豪に仕える老執事スティーブンスはかつての同僚、女中頭のミス・ケントン(現ミセス・ベン)からの手紙をきっかけに休暇を貰い、主人から借りた自動車で旅に出…ます。旅の途中、折に触れてミス・ケントンやかつての主人ダーリントン卿との過去に思いを馳せるのですが、その結果、物語は「現在」の1956年と「過去」である1923年(最終的には1936年も)を行ったり来たりするため、少々分かり難いかもしれません。
「日の名残り」という題名が暗示している様に作中の「現在」は、二回の世界大戦でイギリスは没落し、まさに斜陽の時代です。ダーリントン卿も既に亡く、ミス・ケントンはミセス・ベンになってしまっている。一方、過去である1923年は多少陰りは見せつつも、いまだ世界一の大国としての地位を保ち、主人は健在、ミス・ケントンも同僚と、スティーブンスにしてみれば出来ることなら戻りたいが、決して手が届くことはない失われた黄金時代といえます。「現在」のスティーブンスは折に触れ、偉大さとは何か、品格とは何かを自問し、既に失われてしまったか、あるいは失われつつある、それを守ってきた自分に職業的な誇りをを感じています。にも関わらず、彼はダーリントン卿に仕えていた過去を、自らの経歴・誇りと不可分であるその事実をしばしば隠そうとします。それは彼の弱さの表れであるとともに、現実(過去は取り返しが付かないこと、ダーリントン卿の被った不名誉、屋敷はアメリカ人の手に、etc)を正面から受入れずに、自分を誤魔化しつつ受け流していることの表れであると私には思えました。しかし、そんなスティーブンスも旅の終わりに、取り返しがつかない現実も正面から受け止め、受け容れます。そして現在の主人に前向きに仕えていくことを心に決めます。ミス・ケントンとどうなるわけでも、ダーリントン卿の名誉が回復するわけでもありませんが、それを受け容れることで非常に前向きになる、もしかすると、それがイギリスらしさ、あるいは作中の言葉を借りると「偉大さ」「品格」ということなのかもしれません。
イギリスの歴史(?)小説ということで、日本人には知らないと分かり難い点も少々あります。
時代背景として、戦間期イギリスの対独融和政策を踏まえておく必要があります。ドイツが第一次大戦で敗北し莫大な賠償金を課されたこと。フランスによる過酷な対独政策が反感を生み、ナチス躍進の素地を作ったこと。ドイツで政権を取ったヒトラーとナチスに対し、イギリスはラインラント進駐、再武装、オーストリア併合などに文句は付けつつも最終的には「これが最後」という言葉を信じて領土拡大を追認してしまったこと。このあたりでしょうか。
スティーブンスの葛藤も分かり難いかもしれませんが、身も蓋もない言い方をしてしまえば「父親の健康、職場の同僚との関係など面倒なことから仕事に逃げた男が、老境に差し掛かり、俺の人生、これでよかったのかな?と疑問に思いつつもその気持ちを認められずにいる」という状況です。
ところで映画を見た方ならお気づきでしょうが、原作と映画では現在の主人であるアメリカ人の設定が異なります。原作ではファラデー氏という特に因縁のない陽気な大富豪。映画では過去編にも登場した外交官のルーイス氏。見比べてみると面白いかもしれません。個人的な意見ですが、いくらなんでもスティーブンスが因縁のルーイス氏に仕えるとは思えないので、原作の設定に軍配を上げたい所です。 続きを読む投稿日:2014.02.25
-
日本の歴史をよみなおす(全)
網野善彦 / ちくま学芸文庫
網野史学入門編
8
土地を基盤とした武士による画一的な支配ではなく、多様性に満ちた日本中世を描き出しています。語り口は専門外の人にもわかりやすく、まさに網野史学入門という感じです。なお「(全)」というのは、「日本の歴史を…よみなおす」と「続・日本の歴史をよみなおす」、二冊分を収録ということです。 続きを読む
投稿日:2015.04.02
-
サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ, 柴田裕之 / 河出書房新社
人類<ホモ・サピエンス>だけが神を持つ
6
幾つかの人類の一つにすぎなかったホモ・サピエンスが脳を発達させ、「実在しない概念について語る能力」を手に入れたことによって、一躍支配的な生態的立場<ニッチ>に躍り出た。……というのが本書の趣旨になりま…す。ベネディクト・アンダーソンの「創造の共同体」やウォーラーステインの資本主義論を思わせる内容もあり、幅広い領域を網羅する展開は非常に面白く、刺激的です。
一方で気になる点もいくつかあります。まず「全史」と銘打たれていますが、時系列順の通史になっているわけではありません。各論というか、著者がとりあげる個々の事例については、学術的な正確性よりも話としての面白さを優先させたのかな、という部分が多々見られます。また「農業革命」「認知革命」といった本書のキーワードは本来の学術用語としての意味とは違った意味で使われています。ターム(用語)の扱いについては極力厳密に、というのが学問上の常識であり、良識でもありますので、そういう意味でも一般向けを強く意識した内容という感じです。
気になる点はいくつかありますが、それらに目を瞑って手に取る価値が本書にはあると思います。 続きを読む投稿日:2017.01.28
-
銃・病原菌・鉄 上巻
ジャレドダイアモンド / 草思社
新しい古典といっても過言ではない
6
Amazonでは結構前から電子化されていたのですが、とうとう独占のくびきを逃れたようで何よりです。Amazonをして独占配信せしめていたというだけで本書の評価が分かろうというもの。著者はこの他にも多く…の本を書いていますが、本書と『文明崩壊』、『昨日までの世界』が三部作とされます。勿論、本書のみで完結した内容です。
少数のスペイン人が南アメリカを征服することが出来たのは何故か。その決定的要因として著者は銃、病原菌、鉄を挙げています。本書ではこれらの要因が何に由来するのかが論じられており、結論から言えば(実際に本書の最初で結論が述べられている)、それはユーラシア大陸が東西に延びているのに対して、アメリカ大陸が南北に広がっているため。異なる緯度の地域では気候帯を跨ぐため、動植物の移動が起こりにくい。食品として有益な植物や家畜に向いた動物が広がらず、得られる生物資源が制限される上に、動物由来の風土病がよそ者避けになることもない。単純化しすぎという気もしないではないですが、大まかな話としては理解できます。オックスフォードUPの"Very Short Introduction of Economy"などでも所謂地域間の貧富の格差の原因(の説明の一つ)として本書に触れられているので、著者の主張はおおむね受け容れられていると思います。この主題に添って展開される幅広い各論でも興味深い話が多い。馬が家畜化されてシマウマが家畜化出来なかったのは何故か、地域ごとの主食となる植物の品種改良の歴史など。一見奇妙に思える食習慣も、地理的、文化的な理由によって規定されていることが分かります。主題と結論が最初に示されるからといって読み飛ばすなんてとても出来ません。
本書は専門書並みの長さですが、内容は一般向けに書かれており、難解な専門用語などはありません。かといって極端な単純化で分かり易くするということもなく、丁寧で誠実な文章だと感じます。是非読んで見て下さい。というか、所謂「新しい古典」の一つ、前提として読んでおいて然るべき本かと。 続きを読む投稿日:2014.06.28
-
中世の食卓から
石井美樹子 / ちくま文庫
気軽に読める西洋中世の食と文化のエッセイ
5
元が雑誌連載ということで表紙から受ける印象より気軽な内容です。「中世の食卓から」というタイトルですが、食卓に上る料理を超えて幅広く食、食糧に関する事柄を取り扱っています。反面、個々の料理の詳細やレシピ…的なものはあまりなく、そういったものを求める向きには少し物足りないかもしれませんが、我々にあまり馴染みのない食文化や慣習も分かりやすく説明してくれていますので、中世ヨーロッパの生活に(あるいは現代のヨーロッパの生活にも)興味のある方はお気軽に手にとって見てはいかがでしょうか。
続きを読む投稿日:2015.03.27
-
はじめての構造主義
橋爪大三郎 / 講談社現代新書
レヴィ=ストロース入門
5
『はじめての構造主義』と銘打つものの、八割方はレヴィ=ストロース。一割はソシュール。最後の一割でその他の構造主義者や自称ポスト構造主義者を扱う感じです。分かり易く、レヴィ=ストロースの著書の内容を解説…しています。最初は遠近法だの、幾何学だのがどうして構造主義に関係するのか想像つきませんでしたが、読み終わってみれば納得。構造主義関係の文献リストも付いて便利です。 続きを読む
投稿日:2014.06.13