トルコ 建国一〇〇年の自画像
内藤正典(著)
/岩波新書
作品情報
オスマン帝国崩壊と過酷な独立戦争を経て,世俗主義の国家原則をイスラム信仰と整合させる困難な道を歩み,共和国建国一〇〇年を迎えたトルコ.度重なる軍事クーデタ,議会政治の混乱,膠着するEU加盟問題,未解決のクルド問題など様々な課題に直面しつつ,新たな自画像を模索した波乱の過程をトルコ研究の第一人者が繙く
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商品情報
- シリーズ
- トルコ 建国一〇〇年の自画像
- 著者
- 内藤正典
- 出版社
- 岩波書店
- 掲載誌・レーベル
- 岩波新書
- 書籍発売日
- 2023.08.18
- Reader Store発売日
- 2023.09.28
- ファイルサイズ
- 7MB
- ページ数
- 286ページ
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この作品のレビュー
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「トルコ 建国100年の自画像」内藤正典著、岩波新書、2023.08.18
268p¥1,100C0236(2023.11.13読了)(2023.11.03借入)
近年、トルコとエルドアン大統領がニュ…ースによく登場するようになっています。
1923年のトルコ革命から今年が百年目ということで、トルコに関する本がいくつか出てきました。図書館にいったときに新館のコーナーにこの本があったので、借りてきました。
年表を見ると、1952年にトルコは、NATOに加盟しています。1959年には、EECに加盟申請、1987年には、ECに加盟申請、1995年には、EUの関税同盟に合意(1996年に参加)、2004年には、EUに加盟するためのコペンハーゲン基準を達成。2023年現在、EU加盟はまだ認められていない。
●トルコとイスラム(123頁)
トルコは、1923年の建国後から、段階的に、イスラムと国を切り離し、1937年の憲法で明確に「世俗の国家」をうたった。建国の翌24年の最初の憲法では「イスラムは国教」だった。ただし、この年には最後のカリフを廃位させ、シャリーア法廷を廃止、26年には世俗法の民法を制定、28年には「イスラム国教条項」の削除、34年には女性参政権を承認、37年に憲法で「世俗の国」を宣言したのである。
●クルド人の望み(191頁)
多数のクルド人は別の国をつくることなど望んでおらず、彼らの希望は母語の使用、就業機会の増大、平等な処遇にある
【目次】
はじめに――トルコの「表の顔」
第1章 トルコの地域的多様性――沿岸と内陸
第2章 1990年代──不安の時代
第3章 エルドアン政権への道──障壁と功績
第4章 EU加盟交渉の困難な道のり
第5章 世俗主義をめぐる闘い──軍部と司法の最後の抵抗
第6章 エルドアン政権、権力機構の確立──権力の集中はなぜ起きたか
第7章 揺らぎなき「不可分の一体性」と民族問題──クルド問題の原点と和解プロセスの破綻
第8章 直面する課題──いかにして難題を乗り切るか
終章 建国100年の大統領
あとがき
関連年表
☆関連図書(既読)
「古代への情熱」シュリーマン著・村田数之亮訳、岩波文庫、1954.11.25
「埋もれた古代帝国」大村幸弘著、日本交通公社、1978.04.01
「鉄を生みだした帝国」大村幸弘著、NHKブックス、1981.05.20
「古代アナトリアの遺産」立田洋司著、近藤出版社、1977.01.10
「埋もれた秘境 カッパドキア」立田洋司著、講談社、1977.10.30
「トルコ史」ロベール・マントラン著・小山皓一郎訳、文庫クセジュ、1975.10.10
「スレイマン大帝」三橋冨治男著、清水書院、1971.09.20
「シルクロードの幻像」並河萬里著、新人物往来社、1975.03.10
「地中海 石と砂の世界」並河亮著、玉川選書、1977.12.25
「トルコという国」大島直政著、番町書房、1972.08.30
「遊牧民族の知恵」大島直政著、講談社現代新書、1979.06.20
「遊牧の世界(上)」松原正毅著、中公新書、1983.03.25
「遊牧の世界(下)」松原正毅著、中公新書、1983.03.25
「オリエントから永遠の都へ」大島直政・加藤久晴著、日本テレビ、1983.08.19
「ケマル・パシャ伝」大島直政著、新潮選書、1984.05.20
「トルコ民族主義」坂本勉著、講談社現代新書、1996.10.20
(アマゾンより)
オスマン帝国崩壊と過酷な独立戦争を経て、世俗主義の国家原則をイスラム信仰と整合させる困難な道を歩み、共和国建国一〇〇年を迎えたトルコ。度重なる軍事クーデタ、議会政治の混乱、膠着するEU加盟問題、未解決のクルド問題など様々な課題に直面しつつ、新たな自画像を模索した波乱の過程をトルコ研究の第一人者が繙く続きを読む投稿日:2023.11.13
トルコ 建国一〇〇年の自画像 (岩波新書 新赤版 1986)
トルコという国の「表の顔」は、世俗国家であり、政治のみならず、公的な領域でイスラムを可視化させることは難しかった。だが、ムスリムが多数を…占めるこの国では、その世俗主義に対して、何度も「イスラムを可視化させる挑戦」がなされてきた。
イスラム国家になったわけでもないし、既存の法体系をシャリーア(イスラムの法体系) に置き換えたわけでもない。いまでも、トルコの法の体系は世俗法である。しかし、内政と外交において、ムスリムから見ればすぐに「イスラム的価値」だとわかる.要素を散りばめることで、新たな自画像を描こうとした。このことは、トルコ共和国の歴史において画期的なことであると同時に、体制的な「表の顔」を支持する勢力とのあいだで激しい対立を引き起こした。
トルコはなぜ国境管理を厳格にしなかったのか。一言で言えば、エルドアン政権は、命の危険から逃れてくる人びとを無下に追い返すことがイスラム的道徳に反すると考えていたのである。このままではトルコがトルコ人の国ではなくなってしまうとして難民の送還を求めた世俗主義の野党に対して、不道徳だと一蹴したのはエルドアン自身だった。
トルコ国家が絶対に守ろうとする国土と国民の「不可分の一体性」は、他国に対しても骥页する。トルコ国民は、自分たちが建国期に味わった苦難をウクライナの現状に重ね合わせている。これもまた、トルコの「表の顔」である。
トルコはロシアとの商取引で得られる利益は取ろうとする。人の出入りも止めない。ロシアから逃げる富裕層がトルコの地中海岸に不動産を買い渔るなら、それも商売の好機だからである。トルコ人は、なんらかのイデオロギー的なものについて、ロシアにシンパシーを感じる理由はまったくない。同様に、欧米へのシンパシーもない。
人としてのトルコ人は、クルド人も、アラブ人も同じだが、珊者の救済に熱心に取り組む。これは、民族を超越するイスラムの教えであり、イスラムの価値である。イスラムの場合には、弱者を助けることが義務であり、善行であるから、一人ひとりの信徒の日常的な行為にはかならず弱者救済が反映される。
トルコ人の親日性というものは、トルコ共和国という国家の「表の顔」とは関係がない。遭難者を誠心誠意、救助したことが、トルコ人のイスラム的な琴線に触れたのである。このイスラム的な弱者救済の倫理は、営うまでもなく、近代国家トルコになって生まれたものではない。はるかに以前から、トルコ人とその社会に備わっていた「表の顔」なのである。
第1章 トルコの地域的多様性ー沿岸と内陸
トルコは、 北の黒海、西のマルマラ海とエーゲ海、南の地中海という三つの海に囲まれている。東西にのびる陸地をアナトリア半島と呼ぶ。各々の海とその周辺の地域は 、戒視も社会も食文化も異なっている。まず、 トルコを囲む海の沿岸をぐるりと回って、後に内陸部を見ることで、地理的な特徴を拾い上げていくことにする。そこで、その地域の気候と産物と食に限って書いておこうと思う
第2章 一九九〇年代—不安の時代
1997年の二月二八日、最後の「クーデタ」が起きた。クーデタといっても、誰が見ても明らかな軍による権力奪取ではなかった。なかなか手の込んだ政変劇と呼んだほうがよいかもしれない。軍が怒りを爆発させた相手は、与党となったイスラム主義政党、福祉党と党首のネジメッティン・エルバカンであった。
ここでは、そのプロセスをたどることによって、この「クーデタ」がトルコの政治に残した遺産を検証する。皮肉なことに、これ以降、軍は「クーデタ」を使って政治を左右することはできなくなった。その意味でも一時代を画す出来小であった。
当時の政権は、イスラム主義政党の福祉党( 党首はエルバカン) と中道右派の正道党の対立だった。この連立は1996年6月28日から97年6月30日までの約一年で崩壊した。しかし、イスラム主義政党が、大国民議会(一院制の国会)で第一党となったのは、トルコ共和国の建国以来、初のことだった。
その一つ前、共に中道右派の祖国党+正道党の連立は、さらに短く、三カ月しかもたなかった。短命な政権が続いた理由は、1995年12月24日に行われた大国民議会識員選挙の結果、イスラム主義の福祉党が第一党になり、他の党は票が割れてしまい、安定多数をとれなかったからである。80年代以降、不安定な連立政権というものがトルコの内政を混乱させてきたことは間違いない。
第4章 EU加盟交渉の困難な道のり
エルドアンとその盟友たちが公正・発展党と共に政権の座についた後、 トルコという国家の自画像をどのように描こうとしたのか。ここからは、 外交と内政での課題のなかに、 それを読み解いていく。最初は、ムスリムの国でありながら、ヨーロッパの一員としてEU加盟を目指すという特異な自画像についての課題である。
時は、1980年代に遡る。
「私たちは、ヨーロッパ共通市埸に加盟申誚した。道は、長く、細く、豎り坂で、その始まりにいる。困難な道である。長い交渉になる。私たちを怒らせる多くの事件に遭うことになる。
全く望まない、嫌な言葉を聞くことにもなりうる。しかし、勇気をもって、同時に、忍耐をもって、注意深く、計算していかなければならない」
トウルグト・オザルは、トルコに市場経済と自由主義を導入し、 国家管理の経済体制を変革した首相として名を残した偉大な政治家である。ー九八〇年九月十二日のク—デタによる車政から八三年に民政に移管された後、政権の座につき、矢継ぎ早に改革路線を打ち出した。最も重要な課題の一つが、今のEU(当時のヨーロッパ共同体、EC) 加盟であった。87年4月13日、トルコはECへの加盟を申請したのである。オザル首相の言葉はリアリティに術れている。その後のトルコのEU加盟への困難な歩みを言い当てているからである。
二〇〇四年の時点で、トルコの加盟をめぐってヨーロッパ社会を分断することになった疑問点は以下の五つに集約できる。
①トルコはヨーロッパか?
②トルコの加盟はヨーロッパに安定をもたらすのか?
③ヨーロッパ の重心はどうなるのか?
④大規模な移民の恐れは?
⑤正式加盟のコストは?
トルコは、二〇〇二年以来、大変な勢いで改革を進めた。なにより页耍なのは、トルコ国民にとってのこ。加盟の意味が劇的に変わったことである。それまで、EU加盟はトルコのエリー卜層、 イスラ厶嫌いで親西欧の世俗主義者の「見果てぬ夢」だった。それが、大都市だけでなく、地方の農業従事者、漁業從小者、 酪農従事者をはじめ、 あらゆる産業で働く労働者の希望、言い換えれば国民の希望へと変わったことである。」
トルコはアメリカとEUという西欧の巨大な力と向き合いつづけてきた。翻弄されることなく、敵対するのでもなく対峙し続けることの難しさは、その後二〇年のエルドアン政権の性格に決定的な影響を与えることになる。
第6章エルドアン政権、権力機構の確立— 権力の集中はなぜ起きたか
エルドアン政権の最初のー〇年は、 軍部や憲法裁判所との世俗主義をめぐる闘いの時代であった。国民の大半がムスリムであるにもかかわらず、 建国以来、世俗主義を国家原則としてきたトルコでは、国民が世俗主義から離反し始めていた。少なくとも、トルコ型の世俗主義に窮屈さを感じていたし、世俗主義をなぜ守らなければいけないのかを多くの国民は理解していなかった。そこで、共和人民党をはじめ世俗主義者の側は、建国の父アタテユルクという「虎の威を借る狐」と化していったのである。
第8章 直面する課題— いかにして難題を乗り切るか
トルコという国は、西欧諸国からさまざまな批判を受けてきた。国内にもいくつかの難しい課題を抱えている。それでいて、この国の活力が失われたことはない。クルド間題は一〇〇年たっても未解決であることを述べてきたが、ここでは現エルドアン政権に対して内外から向けられるいくつかの課題を検討することにしたい。
課題① 欧米諸国からのイスラム嫌悪
その昔景には、西欧において、「9.11」以降の二〇年のあいだに懇化したイスラモフォビア(イスラ厶嫌悪) がある。そして、イスラ厶圈のなかで、 ヨーロッパ諸国を範としながらも、決して従属しなかったトルコに批判が集中する傾向がある。
課題② 激しいインフレと市民の防衛策
国民の所得は厳しい。都市部での貧富の格差は大きく、貧困層が拡大している。所得の高い西部地域と低い東部地域の格差、高い沿岸部と低い内陸部という地域間格差の構造も変わっていない。
課題③ ウクライナ戦争とトルコの役割
もともと商取引と政治の話を分けるのは、 この地域で何世紀にもわたって俄み重ねられた知恵である。イスラム世界では、まず商売があって、その先で相手が「敵」だということになったら戦えばよいのである。トルコはもちろんこの発想をとるが、ロシアもまた、長年、この地域で商売をしているのだから、当然、そのやり方にならっただけのことである。
終章 建国100年の大統領
二〇二三年六月三日、エルドアン大統領の就任式典が行われた。そこでのスピーナは、イスラム的な寬容の精神に立ち戻り、 異なる考えの持ち主も包摂する政治を主張し、 敵対から和解への転換を呼びかけるものだった。次の五年間、国家を運営するにあたっての所信であり、外国からの要人の前でのスピーチだから当然のように聞こえるが、ここにはエルドアン大統領の描くトルコ国家の基本的性格がよく表れている。
新たなスタ—卜を切る時には、従来からの友好に謝意を表し、政敵を攻撃しない。まずは胸襟を開いて見せ、相手の出方で対処方針を決めていく。敵対するのであれば戦い、同戀するのであれば和解する。それは、大国との同盟関係に依存しないトルコの姿勢を表すものであった。
大統領に限らず、イスラム指導者は、皆、このハディースを信徒に示して、とるべき対応を説いた。そして、ワクチンを輸人して接種を呼びかけた。このような難局にあって、大統領はハディースを引用したが、過去の時代のように、罪に間われることはなかった。「最後はアッラーにゆだねよう」という言葉も多くの国民に響いた。
政府も医療従事者も献身的な活動を続けたのだが、それでも多くの犠牲者はでる。そんな時にその責任を他人に負わせようとせず、最後は神にゆだねる。最初から神任せで人が努力しないのでは無責任でしかないが、トルコはその逆を行った。
政府は国民の先頭に立って働いた。選挙の数か月前に発生した大地震で多くの犠牲者を出した地域に対する救援と復捌でも政府の動きは迅速だった。それらが選挙での信任につながっている。これが、トルコ国民の強さ、言い換えれば、困難に対するレジリエンスの源である。
世俗主義の国家原則を維持し、その枠組みの中でイスラムの侑仰もまた維持する。数々の難題に直面してきた経験が、新たな自画像を描こうという原動力に変換されていることを私は感じた。続きを読む投稿日:2023.09.18
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