ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論
デヴィッド・グレーバー(著)
,酒井隆史(訳)
,芳賀達彦(訳)
,森田和樹(訳)
/岩波書店
作品情報
やりがいを感じないまま働く.ムダで無意味な仕事が増えていく.人の役に立つ仕事だけど給料が低い――それはすべてブルシット・ジョブ(ルビ:クソどうでもいい仕事)のせいだった! 職場にひそむ精神的暴力や封建制・労働信仰を分析し,ブルシット・ジョブ蔓延のメカニズムを解明.仕事の「価値」を再考し,週一五時間労働の道筋をつける.『負債論』の著者による解放の書.
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商品情報
- 著者
- デヴィッド・グレーバー, 酒井隆史, 芳賀達彦, 森田和樹
- 出版社
- 岩波書店
- 書籍発売日
- 2020.07.29
- Reader Store発売日
- 2020.12.24
- ファイルサイズ
- 4.9MB
- ページ数
- 442ページ
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人類学者でありアナキスト活動家でもあるデヴィッド・グレーバー(1961-)による現代社会への問題提起の書、2018年。
学生時代に、書店で『アナーキスト人類学のための断章』という本を見かけ、その著者…デヴィッド・グレーバーの名前を知った。「アナーキスト」と「人類学」という二つの語の結びつきが奇妙に感じられて印象に残ったのだが、これまで読んでみることはなかった。本書を読むと、「人類学」と「アナキズム」の結びつきが決して突飛なものではないということが、少しずつ了解されてきた。本書の中でも彼は自分の政治的立場を明確に述べている。「わたし自身の政治的立場は、はっきりと反国家主義である。つまりアナキストとして、国家の完全なる解体を望んでいるし、そこにいたるまで、国家にいま以上の権力を与えるような政策には関心がない」(p359)。
グレーバーが本書の主題として取り上げるのは、現代の大多数の労働者が全く無意味に見える業務に生活のほとんどの時間を費やしている、という問題である。彼はこれを「ブルシット・ジョブ」と命名する。現代人を苛むブルシット・ジョブの正体は何なのか。なぜそれは人間にとって有害なのか。なぜそれは増大してきたのか。なぜ人々はそれを減らそうとしないのか。こうした問いを、経済的、政治的、歴史的、社会的、文化的な多様な視点から解明していく。
以下では、私が捉え得た限りの論点を備忘録的に挙げておく。
□ ブルシット・ジョブの定義
ブルシット・ジョブは、以下の三要件を満たす有償労働として定義される。
① 実質的な価値が無く、無意味で、不必要で、有害な業務である。
② 被雇用者本人が①を自覚しており、その業務の存在理由を正当化できない。
③ ②にもかかわらず、被雇用者は①が真ではないかのごとく取り繕うよう、自他双方への欺瞞を強いられる。
一般に「割に合わない仕事(シット・ジョブ)」とされるものは、「無意味な仕事(ブルシット・ジョブ)」とは区別される。前者は不当に低収入ではあるが社会的に有益な仕事であることが多いのに対し、後者は過剰に高収入ではあるが社会的にはまるで無意味な仕事であるから。
□ ブルシット・ジョブの諸類型
ブルシット・ジョブの典型として以下の五類型が挙げられている。
① 取り巻き(flunkies)・・・上司に実際以上の権威があるかのごとく偽装するために上司のそばに侍る業務。具合的にいかなる業務がそこに割り当てられるのかは、二次的な問題とされる。女性秘書など。
② 脅し屋(goons)・・・消費者を脅迫して故意に彼らの不安を煽ることで、本来は存在しなかった需要を捏造する業務。広告業など。(美容技術を施した女優の美しさをみせつけることで)「われわれは視聴者が番組本編をみているあいだは自分たちに欠陥があるようにおもわせ、CM時間にはその〔欠陥への〕「解決策」〔商品〕の効能を誇張してみせるのです」(p63)。
③ 尻ぬぐい(duct tapers)・・・構造的に欠陥がある組織や無能な上司によって惹き起こされる損害の後始末をする業務。組織の不具合や上司の無能さといった問題の根本原因を解消することよりも、その問題に対応することに人員を割いたほうがましだ、と考えられている。
④ 書類穴埋め人(box tickers)・・・官僚機構において手続き上必要とされる書類を作成する儀式的な業務。そうした書類やひいては手続きそのものが実質的に有意味であるのかどうかは、二次的な問題とされる。なぜなら、官僚機構においていったんある制度が導入されれば、その実質的な是非は問われることなく、制度の永続的な運用が自己目的化されるから。背景には、実質的な業務よりも形式的なペーパーワークのほうが重要とみなされる、官僚機構特有の倒錯がある。
⑤ タスクマスター(taskmasters)・・・他者にブルシット・ジョブを割り当て、それを監督する業務。場合によっては自らブルシット・ジョブを作り出し、それを他者に割り当てることもある。中間管理職など。
「ブルシット・ジョブを生み出しているのは、資本主義それ自体ではありません。それは、複雑な組織の中で実践されているマネジリアリズム〔経営管理主義〕・イデオロギーです。マネジリアリズムが根を下ろすにつれ、マネジリアリズムの皿回し――戦略、パフォーマンス目標、監査、説明、評価、新たな戦略、などなど――を維持するだけが仕事の大学スタッフの幹部たちが登場します」(p86)。
□ なぜブルシット・ジョブは非人間的なのか
そもそもブルシット・ジョブの問題は、①「無意味性」(社会的価値が全くない無意味な業務であること)と、②「欺瞞性」(無意味な業務であることを自覚しながらさもそうではないかのように自他双方に対して欺瞞を強いられること)の二点にある。このそれぞれが人間精神に対して暴力的に作用するからである。
①について。人間は、他者との関係性において、はじめて自己の価値を確認できる。つまり人間は、自己の意志と能力を用いて、社会的に有意味な状況を構築することができて、はじめて自己の存在理由を確認することができる。よって、無意味な業務であるブルシット・ジョブを強いられる状況は、人間の自尊心を損なうという点で、人間性に破滅的な影響を及ぼす。これは、「他者にとっての自己」への攻撃であるといえる。
②について。人間は、自己を自己として率直に受け容れることが可能となって、はじめて自己が自己であるという根源的な自己同一性を確認することができる。よって、自己欺瞞を伴うブルシット・ジョブを強いられる状況は、自己同一性の感覚を不安定化させてしまうという点で、同じく人間性に破滅的な影響を及ぼす。これは、「自己にとっての自己」への攻撃であるといえる。
また、ブルシット・ジョブが強要されるとき、そこには権力が作用している。労働の現場では、上位者による下位者への理不尽な権力行使が頻繁に起こるものであり、ときにそれはサディスティックな虐待行為にまで発展する。さらにひどいときには、それは権力の表現それ自体を目的としてなされていることもある。そこでは、労働者はその自由意志を無化され、雇用者に操作されるだけの道具的存在に貶められる。このような状況では、自律的主体であろうとする精神に深刻な傷痕を残すことになる。
□ なぜブルシット・ジョブは増加したのか
そこには、産業資本主義から金融資本主義への変遷という、経済的な背景がある。
①産業資本主義のもとでは、自動車産業に代表されるように、企業は実質的な財を生産しそれを販売することで利益を上げていた。②しかし、1970年代頃から台頭しはじめる金融資本主義のもとでは、FIRE部門(金融、保険、不動産)に代表されるように、実質的な生産に基づいて利益を上げるのではなく、自分や他人の資産を動かしてそれを増殖させることによって利益を上げる(則ち、他者に債務を負わせ、その利子によって利益を上げる)。③そこでは、複雑な資産運用を管理するうえで、ひとつひとつの操作の適正性を保証することが求められ、そのために各段階ごとに細分化した手続きが増加し、この煩瑣な業務を担う経営管理部門に多数の人員が割かれることになる。
④このような金融部門の経営形態が他の業種にも広がっていく。⑤あらゆる企業において、社会的な実質を伴わない経営管理上の形式的な手続き業務としてのブルシット・ジョブが大量に形成されていく(複雑化する業務→そのひとつひとつの適正性をチェックするためにそのひとつひとつごとに課せられる膨大な書類作成と事務手続き→さらに複雑化する業務)。⑥それと同時に、実質的な生産活動を担うブルーカラーよりも、こうした社会的には無価値なブルシット・ジョブを担う専門職ホワイトカラー(コンサルタント、アナリスト、マーケティング専門家、会計スタッフ、法務スタッフ、それらを統括する無数の中間管理職など)の存在感が増していく。⑦ついには、かつて有意味とみなされていた実質的な業務までもが、ブルシット化していくことになる。
「わたしのいいたいのは、実質のある仕事のブルシット化の大部分、そしてブルシット部門がより大きく膨張している理由の大部分は、数量化しえないものを数量化しようとする欲望の直接的な帰結だということであるはっきりいえば、自動化は特定の作業をより効率的にするが、同時に別の作業の効率を下げるのである。なぜかというと、ケアリングの価値を取り巻くプロセスや作業や成果をコンピューターが認識できるような形式へ転換するのには、膨大な人間労働を必要とするからである」(p337)。
金融資本主義は、いっさいの人間的社会的事象を、資産価値と同様に計量可能=交換可能=比較可能なものとみなし、数値化することが即ち効率化であると思い込む傾向がある。
□ ブルシット・ジョブの存在はネオリベラリズムと矛盾しないのか
現代の支配的なイデオロギーであるネオリベラリズムが経済効率に至上の価値を置いているということを考えれば、労働力の無駄遣いでしかないブルシット・ジョブの存在自体が極めて矛盾したものに映る。それにもかかわらず、現代の経済システムがこうした膨大なブルシット・ジョブによって成立し維持されているのであれば、実はそこで駆動しているのは経済の命法ではないのであって、何らか別の政治的な意図が働いているのではないか。
ここでグレーバーは、現代の経済システムが中世の封建制と類似していると指摘し、それを「経営封建制」と名付ける。中世の封建制においては、封建領主が、法的強制力という政治的手段を用いて農民が生産した富を収奪し、支配と権威の確保という政治的目的のためにその富を配下の者たちに再配分する。また、現代の経済システムにおいても、企業が消費者や納税者から収奪した富は、かつての産業資本主義のように労働者に還元することはせず、富裕層や企業上層部の資産を増大させるのに加えて、ブルシット・ジョブおよびそれを担う管理部門の役職を新設するのに費やされる。こうしてブルシット・ジョブおよびそれを担う膨大な被雇用者が際限なく再生産されていく。
つまり、現代の経済システムも中世の封建性も、「物財を実際に製造し、運搬し、保全するよりも、その物財の領有や分配を基盤におき、それゆえに、システムの上部と下部のあいだに諸リソースをまわす作業に人口のかなりの部分が従事する政治-経済システム」であり、「その人口は、複数の層[略]が複雑に位階化されたヒエラルキーへと組織される傾向にある」(p238)という点で共通している。
そこでは、ヒエラルキーの高さと複雑さが、その頂点にいる封建領主=企業経営者の権威の大きさを象徴するとされる。つまり、ブルシット・ジョブならびにそれに従事する多数の被雇用者は、経済的には無駄でしかないが、雇用者の権威を可視化しかつ実際以上に粉飾して誇示してみせるという政治的目的のために、大量に必要とされることになる。
この意味では、現代の経済システムは、資本主義ではないということになる。新自由主義イデオロギーは、決して全地球的に貫徹されているのではない。それは、もっぱら経営者が労働者に対して強要するだけのものだという意味で部分的なのであり、経営者自身は効率至上主義の命法が及ばぬ例外としてそれに服従してはいない。つまり新自由主義は、純粋に経済学的な命法としてそれ自体で独立している根源的なものではなくて、ある特定の政治的思惑に従属しているのである。
以上からもわかるとおり、「ブルシット・ジョブは「民間部門」には存在せず、非効率な「公共部門」にのみ起こりうる」という議論は、新自由主義が部分的なものでしかないという点を見落としたことから生じる誤解である。「すなわち、経営者たちは時間的・エネルギー的に最も効率の良い方法を科学的に研究し、それを労働の編制に適用した。ところが、その同じ方法を自分たちに応用することは決してしなかったのである[略]。その結果、ブルーカラー部門において、きわめて情け容赦ない効率化とリストラが敢行されたのと同時期に、ほぼすべての大企業で無意味な経営職および管理職のポストが急速に増殖した」(p37-38)。
□ なぜブルシット・ジョブは減少しないのか
その背景には、歴史的に形成されたイデオロギー状況がある。
中世から近代へ移行し、資本主義が誕生することによって、一生涯を賃労働に縛りつけられる労働者が生み出されることになった。こうした歴史的状況に呼応するかのように、中産階級とそのイデオローグたちは、「労働は自己規律と人格形成の契機として道徳的に価値がある」という「労働=善」のイデオロギーを広めていく。その典型例としてカーライルの言葉が引かれている。「ひとは働くことによって自身を完成する」。「真の労働はすべて神聖である」。「苦役の生涯をうったえる諸君はなにものか? 不平をいうな。わが疲れたる兄弟よ、顔を上げよ。かなた神の永遠の世界に、諸君の仲間である労働者が生き残り、かれらのみが神聖な一隊の不死の者として、人類の帝国の天なる親衛隊として、残っているのを見るがよい」(p298)。つまり、「労働は、無意味な苦役であるかもしれないが、人格を陶冶するものであり、それ自体で価値がある。その報いはあの世で受け取れ」という。「徳はそれ自体が報いである」を労働へ応用したのである。この「苦痛であるがゆえにこそ、価値がある」というマゾヒスティックに倒錯した弁証法は、現代人をブルシット・ジョブに縛りつける呪いのひとつであろう。労働とは、自己否定なのである。この苦役に対する報酬は、自尊感情と、社会的承認と、商品の消費を通した自己実現である。
(同時期に生まれたもうひとつの呪いについて。かつて天上の星々とともにあった時間は、産業革命期に時計が普及することによって、人間による所有と管理と売買の対象となった。こうして、「労働者は、たとえ無意味であることが周知の業務であっても、労働時間のあいだはそれに従事しなければならない」という通念が生れた。なぜなら、労働者の時間は、労働者自身のものなのではなくて、彼らを賃金によって買い上げた雇用者の所有物であるから。賃労働において怠惰は、道徳的堕落であると同時に、法的には盗みとされるようになった)。
(なおカーライルを引用した箇所に付した注において、これと対照的なニーチェの労働観が紹介されていて興味深い。ニーチェはカーライルのような労働の称賛の背後に「すべての個体的なものに対する恐怖心」を見出す。「人々がいま労働[略]を見て結局感じるところは、そうした労働が最善の警察であること、それが各人を制御して、その理性や欲情や独立欲の発展を力強く妨げることができるということである。なぜかといえば、労働は異常に多くの神経力を使い、それを思索や瞑想や夢想や配慮や愛情や憎悪から奪ってしまうから」(p398-399))。
なぜ、社会的にも有益である実質的な仕事は、社会的に無意味なブルシット・ジョブと比べて、低い報酬しか支払われないのか。なぜ、労働の社会的価値と経済的価値は反比例しており、かつ多数の人々がそれを妥当なこととして是認してしまっているのか。この事態も、「労働は、苦痛であればあるほど、それゆえに価値がある」という呪いによって説明できるだろう。則ち、社会的に有益である実質的な仕事は、その有意味性ゆえにすでに報われているのであり、その上さらに高額な報酬を要求するのは不当である。なぜなら、社会的利益の実現を目的とする仕事を選んだにもかかわらず、その仕事の成果に対して高額の報酬を要求することは、社会的富の不均衡な分配を惹き起こすことになり、仕事の目的と矛盾するから。同様に、社会的に無益なブルシット・ジョブは、その無意味性ゆえにすでに苛まれているのだから、その上さらに低い報酬しか支払われないのは不当である、ということになるのだろう。この根底には「嫉妬」の構造があるように思われる。「嫉妬」は労働者の分断状況を作り出しているという点で、深刻な問題である。
「[略]、否定しようのないことが一点ある。そのような労働の状況が、憎しみと反感に満ち満ちた政治的状況を助長しているということである。必死にがんばっているのに仕事がない人びとは、雇用を得た人びとに対して反感を抱く。雇用を確保している人びとは、貧困者や失業者に対する反感を抱くようにそそのかされている。貧困者や失業者は、たえず、たかり屋とか寄生虫といわれつづけている。ブルシット・ジョブにはまった人びとは真に生産的であったり有用であったりする労働をおこなっている労働者に反感を抱き、真に生産的で有用である労働をおこなっているのに十分な給料をもらっておらず、品位を貶められ、その意義を十分に理解されない人びとは、有益であり立派で魅力的なことをしながら同時に裕福に暮らしていける数少ない仕事を独占しているとみえる人びと――そのような人びとを「リベラル・エリート」と呼ぶ――に反感をおぼえる。かれらは、こと自分たちが(適切にも)腐っているとみなす政治エリートを嫌悪するという点では、一致団結する。しかし、政治エリートといえば、自分たちにむけられる以外の、このような無内容な憎悪の形態は、非常に都合がよいとみている。というのも、自分たちから注意を逸らすことができるからである」(p320-321)。
ブルシット・ジョブという現象から見えてくるのは、労働は搾取と抑圧と分断の最前線にあるということである。
□ ベーシックインカムの導入へ
生活を労働から切り離し、不条理なブルシット・ジョブから人間を解放するための手段として、ベーシックインカムの導入が提言される。続きを読む投稿日:2020.08.15
飛ばし読みで読んだ
世の中にどれほどブルシットジョブ(クソどうでも良い仕事)が溢れているか、みたいな内容がほとんどで自分が読みたかった解決策に関してはほとんど書かれていなかった。最後にベーシックインカ…ムについてちょろっと書かれてただけ。
解決策は世の中からブルシットジョブを無くして、雇用を失った大量の人にどのような対応をさせるかが肝なんだろうな。
世の中には必要のない仕事が溢れている。理論的には労働時間短くなっているはずなのに必要のない仕事がその分増えているから今だに人々は8時間働いてるとのこと。ホントかわからんけど。
ベーシックインカム以前に、1日4時間労働・週休3日で働けます!みたいな求人・職種が増えていくことが大事だと思う。義務教育の軍隊教育の影響か国民性か知らんけど8時間労働こと自体を疑わない人が世の中の大半だから既存の雇用形態は変わらないだろうな
この国でベーシックインカムが導入されて一般市民が労働しなくても良い世の中になるには時間はかかりそう。西欧諸国が導入し始めない限りは無理だろうな。
続きを読む投稿日:2024.03.24
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