この作品のレビュー
平均 4.0 (8件のレビュー)
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千日回峰行を成した大阿闍梨 塩沼亮潤住職のご本です。何事も前向きに笑顔で取り組めば、乗り越えられない壁などないと仰せです。「それができないから困ってるんじゃん!そこをどうにかしてよ!」という方は、多分…そもそもこのご本に興味ないんじゃないかしら。このご本を読もうと手に取った時点で、書かれてある内容の半分くらいはクリアでしょう。ただ、残りの半分は『そうは言っても、なかなか続かない…』を乗り越えるためのものです。続けるために必要な心構えをお知りになりたい方はぜひ。
ちなみに私は歩くの大好き、週に20〜30kmくらい歩くのですが、そのせいか足首や膝が痛くって…でも、その不調に効くのは他の本みたいです。続きを読む投稿日:2021.10.12
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塩沼亮潤
1968年仙台市生まれ。東北高校卒業後、吉野山金峯山寺で出家得度。91年大峯百日回峰行満行。99年吉野・金峯山寺1300年の歴史で2人目となる大峯千日回峰行満行。2000年四無行…満行。06年八千枚大護摩供満行。現在、仙台市秋保・慈眼寺住職。大峯千日回峰行大行満大阿闍梨。
私にこのような悟りを与えてくれたのが、「大峯千日回峰行」 という修行でした。 大峯千日回峰行は、1000年以上も前から 行 じられてきた歴史と伝統のある修行です。奈良県 吉野山 の 金 峯 山寺 蔵王堂 から 大峯山 と呼ばれる 山上ヶ岳 までの往復 48 キロメートルを一日 16 時間かけて歩き、それを1000日間、雪で山が閉ざされる期間を除いて足かけ9年にわたり続けるというものです。
山道を往復したあとは、蔵王堂まで戻り掃除と洗濯をして、お風呂で汗を流し、ごはんをいただき、翌日の準備を整えます。そして、そのあとまた500段ある階段を下りて寝床のある 参籠 所 に戻り、床につく前に、その日一日のお山での出来事、自分の心に浮かんだこと、気づいたことなどを日誌に書き留めていました。 精も根も尽き果てて、たったひと言しか書けない日もありましたが、それでも1000日間、一日も怠ることなく書き続けました。 その日誌を振り返ってみると、千日回峰行を行じさせていただくなかでどのように自分の心の在り方が変わっていったかが、よくわかります。
心のもち方次第で幸せにもなるし、不幸にもなります。 答えは心のなかにあります。 決して逃げないで、くじけないで、 死んだほうがいいなんて思ってはいけない。死んだら終わりです。 人生の春夏秋冬、辛抱していれば、必ず春は来る。 卑屈にならず、苦しみから逃れず、受け止めて乗り越える。 そう。種を植えて、一日で咲いた花はありません。 うしろを振り向くより、いまを強く、しなやかに、辛抱することです。
こうして日誌を読み返してみると、序盤から前半はただひたすらに、自分を襲う苦難との戦い、お山の過酷な環境との戦いに心がとらわれていたことがわかります。当時 24 歳という若さから、「命の一つや二つ、落としてもなんてことはない」という荒々しい気持ちで力まかせに山々を駆けめぐり、がむしゃらに行じていました。
修行僧として入門したばかりの頃、お師匠さんがこんな話をしてくださいました。 「あなたたちは収穫したばかりの芋です。芋は、汚れた土がついたままでは料理に使えません。あなたたちがこれからを過ごすお寺は、たらいです。お互いにぶつかり合いながら、土を落とし、きれいになっていくのです」 ここでの「土」とはなんでしょうか? それは、「自分が、自分が」という 我 であり、「自分だけが」という我欲 です。
歩行禅は、文字どおり「歩く」ことの効果を活用した心のエクササイズとして、自信をもっておすすめできるメソッドです。私が身をもって実感した千日回峰行のエッセンスだけを〝いいとこ取り〟した、いわば修行のエントリー版といったところでしょうか。
歩くというのは特別な道具も設備もいらず、老若男女が誰でもできること。生活動作としても、もっとも普遍的なものですから、毎日のルーティンにしやすいという利点もあります。
参加者のみなさんからは、 「歩きながらだと、素直に自分を反省できることがわかりました」 「自分を客観的に見つめる時間になりました。こんな時間をもったことは、いままで一度もありませんでした」 「心が晴れる、すごくいいセッションでした」 など、大満足の声をいただきました。
「ネイチャー・ウォークのあと、不登校だった子どもが学校に行くようになったんです。本当にありがとうございます」
瞑想とウォーキングの組み合わせでうつが軽減 実は、ウォーキングと瞑想は、科学的に見ても非常に相性がよいことがわかっています。
〈米ニュージャージー州にあるラトガース大学のブランドン・オーダーマン博士らの研究発表により、 軽いウォーキングなどの有酸素運動と瞑想を組み合わせると、うつ病の症状が軽減し、前向きな気持ちになる ことがわかった〉
下半身の筋肉は、全身に存在する筋肉のうちの3分の2以上、約7割を占めると言われています。筋肉は、収縮したり弛緩したりすることで全身に血液を送り出すポンプの役割を果たしていますから、身体を動かすことには全身の血のめぐりをよくする効果があります。
ウォーキングは老若男女、誰でもすぐにはじめることができます。特別な道具をそろえる必要もありませんし、場所も選びません。また、ひざや腰に負担をかけるジョギングと違い、体力に自信のない人でも無理なく続けることができます。 なにより、歩くことには「引退」というものがありません。 身体さえ動けば、死ぬ間際まで歩くことができます。 ウォーキングを習慣化することにより、身体が健康になるだけでなく、精神にもよい影響が出てきます。
歩くことで脳の血流もよくなりますから、 頭の働きが活性化 します。事実、昔の発明家は、歩きながら思考をめぐらせてアイデアをひねり出していたそうです。 また、歩くことにより、 幸福感をアップさせる働きのある「セロトニン」という脳内ホルモン(神経伝達物質)の分泌量が増える こともわかっています。歩くことは、身体にも脳にも、心にも多くの「いいこと」をもたらしてくれるというわけです。
しかし、現代人は、便利な世の中において歩く機会がどんどん減ってきています。 江戸時代の庶民は一日のうちに3万歩も歩いていたそうですが、ひるがえって現代の日本人は平均6000~7000歩ほど。自動車や電動自転車、エレベーターやエスカレーターなどを使う便利で快適な生活に慣れきっていることに加え、朝から晩まで座りっぱなしのデスクワークで「一日のうち、歩く時間がほとんどない」という人も少なくないのではないでしょうか。
また、心と身体はつながっていますから、心が整えば体調もよくなってきます。 心がポジティブになることが歩行禅の主作用だとしたら、副次的な作用として「運がよくなる」「人間関係がよくなる」「健康になる」 といったメリットを挙げることもできるでしょう。
肉体と精神のバランスが整ってくると、日常生活のなかで起こる出来事をポジティブに思考できるようになる。瞬間的にイライラしたりしたとしても、すぐに転換して、災いを福とするコツを得ることができます。結果、人生には「よいこと」しかないのです。 これは、決して大げさな話ではありません。
私自身が体験から得たものの一つに、大自然への感謝があります。 千日回峰行をはじめとする荒行の末に行き着いたのは、空気、太陽、水、木々や草花から小さな生き物まで、私たちをとりまく自然界のあらゆる存在への感謝と畏怖の心でした。 もちろん、お天道様のありがたさを思い、緑の豊かさや花の美しさに感じ入ることはそれ以前にもありました。しかし、人の手入れなど施されていない深い山中に身を置き、来る日も来る日も大自然の厳しいルールを「体験」することで得た気づきは、それまでとはまったく別次元のものでした。 自然は、奇跡的なバランスで私たちの存在を包み込み、人間一人ひとりを生かしてくれています。
自然界の営みは理にかなっています。 私たち人間がどのような知恵や技術をもってしても作り上げることのできない世界であり、私たち人間はそのなかで生かされているのです。
一方で、大自然の美しい景色を目の当たりにして思わず感動する日もありました。 ある夜、真夜中に、雲一つないきれいな星空が広がっていました。そこに、まぶしいくらいに 煌々 と輝くお月様。その瞬間、山に霧がかかり、月の光で七色の虹が現れました。このときには震えるほどの感動を覚えたものです。 ありふれた風景から学びを得る日もあります。
ある日、ふと自分の足元を見ると小さくてきれいな花が咲いていました。 なるほど、この花はこんなに深い山中で、誰かに見られるわけでもないのに本当にきれいに花を咲かせている。そして、隣にどんなに美しい花が咲いても、決して 妬んだり、いじけたりすることなく、自分は自分で精いっぱいに咲くのみ。人間も、この花のようにあるべきなのではないか──。
全身の姿勢(=身)を整え、呼吸(=息)を整えると、精神(=心)が整ってくる という考え方です。
山での修行だけでなく、みなさんの日常生活においてもこれと同じことが起こります。目の前のネガティブな要素にとらわれているとき、姿勢はゆがみ、目線は下に向き、呼吸は浅くなっているはずです。そんなときには、まず「身」=姿勢、次に「息」=呼吸を整えることで、心をリセットできるということを知っておいてください。
北野武さんと対談する機会があり、そのときに伺ったお話をご紹介しましょう。 ビートたけしとして人気が爆発した頃、浅草の飲み屋の大将から「たけし、お前のせいで何人もの芸人がメシ食えなくなったじゃねえか」と言われたことがあるそうです。そのエピソードを振り返りながら、たけしさんはこう語りました。 「でも、しょうがねえんだよな。みんなが遊んでたときに俺は、一生懸命ネタ帳を作ってたんだからさ」 才能があって、恵まれているように見える人ほど、見えないところでコツコツと努力を積み重ねているのです。 「あの人はいいな」「みんな、恵まれているな」と、指をくわえて他人のことばかり見ていても、なにもいいことは起こりません。 夢や目標を設定し、そこに向かって自分を磨いていくことです。
「自分がかわいい、自分のことを大切にしてほしいと思ったら、まずは誰かを尊重すること。誰かを尊重すると、それが廻りまわって自分に返ってくる。その人から直接ではなくても、どこかの誰かから尊重されるようになる。そのうちに、みんなから大事にされるようになる」という教えでした。 これはいわば、「徳の貯金」 です。
嫌いだ、嫌いだと避けていながら陰で悪口などを言うのは、相手に振り回されているということです。その人を受け止めて、包み込むくらい人間的魅力のある人になりましょう。そうすれば、相手に振り回されることもありません。
世の中、必ずどこかで人と人とのトラブルが起きています。 生涯誰にも迷惑をかけず、誰からも迷惑をかけられずという人は、この世にただの一人もいません。誰もがいつかどこかで、誰かに世話をかけたり、不快な思いをさせたりしながら生きているのです。人生はずっと、その繰り返しです。 お釈迦様の教えの一つに「 諸法 無我」 というものがあります。この世のすべての存在は、影響を及ぼし合う関係によって成り立っていて、ほかと関係なしに独立して存在するものなどはない。あらゆる存在がこの共生関係によって変化しながら生かされているのだ、という教えです。 「自分は自立している、誰にも世話をかけずに生きている」と思っている人もいるかもしれませんが、それは人間の 驕りにすぎません。 食糧や衣服が簡単に手に入るのも、水道の栓をひねるだけで衛生的な水が飲めるのも、日々歩く道が安全に舗装されているのも、この世に生きる誰かが手間をかけてくれたおかげです。なにより、自分という命がいまここに存在するのは、両親、ご先祖様、子どもの頃にお世話になった先生やお医者さんなど、数え切れない人々の支えがあってこそです。
人間関係も、大自然と同じように絶妙なバランスのうえに成り立っているということです。 これまでの人生を振り返ってみたとき、あなたがどんなに立派な人であっても、周囲との関わり合いのなかには少なからぬ「迷惑」が発生していたことでしょう。
世の中は、持ちつ持たれつ、お互いさまで支え合っているのです。 そのうえで自分自身は、 なるべく他人に迷惑をかけないように慎んで生きる、いつも謙虚にふるまう、他人に優しく接する、人の痛みや苦労を想像する といった心がけを忘れないようにしてください。 これが、人としてもっとも大切なルールです。
私も昔、ごはんを食べていくのがやっとという経験をしましたが、それでもお金という存在が悪いものだと思ったことはありませんでした。 この世の中において、お金は価値交換のための大切な道具です。 私は、お金はご縁の 賜物 だと考えています。 宝くじが当たったなどの特別なケースを除き、 ほとんどの場合、お金は人の手を介して自分のもとにやってきます。 勤務先から出るお給料、商売の売上げや仕事の報酬金、人生のさまざまな節目でのお祝いのお金や、謝礼のお金、プレゼントとして渡される金品など、すべて人と人とのかかわりがあって、そのうえでお金の流れがあります。ビジネスでも、人の紹介で新たなご縁が生まれ、そこから事業が拡がっていきます。
前向きな言葉は、よい運につながります。 言葉のもつエネルギーは強大です。前向きな言葉を使うと、前向きな現実を作り出せますし、明るい言葉を使うと、明るい現実を作り出すことができます。 逆に、ネガティブで暗い言葉は、ネガティブで暗い現実を作り出すのです。 ネガティブな言葉とは、「嫌だ」「嫌い」「できない」 といった否定的な言葉や、「でも」「だって」「どうせ」 といった言い訳の言葉、若い人がよく使う「うざい」「むかつく」「きもい」などの攻撃的な言葉です。
19 歳のときに吉野山に入り、 20 歳を迎えたときに、お師匠さんから1枚の色紙をいただきました。 私のほかにもう一人、 20 歳の者がおり、「今日は君たちの成人式だから」と言って私たち二人にそれぞれ、別々の内容で色紙に言葉をしたためてくださったのです。
何事も、「自分にも上手にできるかもしれない」という〝手応え〟がないと続かないものです。しかし、ほとんど〝手応え〟が得られないことでも、投げ出さずに継続してさえいれば、いつか必ず人並み以上にできるようになります。
歩行禅に限らず、ジム通いでも、勉強や仕事でもそうなのですが、やりはじめる前、着手する前はとても腰が重いものです。しかし、一歩足を踏み出してしまえば、意外にすんなりと〝やる気〟は軌道に乗ります。 何事も、一歩足を踏み出すことにいちばん労力がかかるのです。飛行機は離陸のときにエンジンパワーを最大にしますが、それと同様に「いざ、やりはじめるまでが大変」という心理は、多くの人に心当たりがあるものではないでしょうか。
歩行禅は、普段ないがしろにしがちな「ありがとう」「ごめんなさい」「はい」という3つの心をルーティン化するためのメソッドでもあります。 ウォーキング中の「ごめんなさい」と「ありがとう」に対して、「はい」は坐禅中の瞑想に相当するとも言えるでしょう。自分の人生や、置かれた環境を受け入れ、すべてをあるがままに肯定するのは、周囲に対する敬意=「はい」の心にほかなりません。続きを読む投稿日:2024.02.05
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